空転日記

「はばかりながら はばかる」 ぢっと手を見る

「ここは日本じゃあ」で何が悪い

「郷に入っては郷に従え」ということわざがあるが、新しい土地に来たらその土地の文化や風習に従うべきだということである。その土地の大多数の意見に従うとも言えるので、多数決で物事を決めてゆく「議会制民主主義」に通じるものがある。

一部の少数派の意見が幅をきかせてしまうと社会は混乱し不満が募る。最近の多文化共生についての社会の動きを見ていると疑問が湧いてくる。

イスラム教徒のためにハラール認証を受けた給食を提供する保育園があるという。イスラムのルールになぜ日本の施設が従わなければならないのか。

ごく少数のマイノリティのために尽くしてあげることを否定するわけではないが、なにもそこまでと言いたくなる。イスラム教の国に行くと酒がないことが多い。ならば日本人には酒だせよと主張するべきである。

特定の宗教を弾圧してはならないが、過度の保護は必要ない。創価学会統一教会空飛ぶスパゲッティ・モンスター教と同じ扱いでよろしい。

そして国家間の関係性は相互主義でよく、在留外国人に対する待遇などはお互いの国で同程度でよい。トマトはトマトであって「トメイトゥ」ではない。ポテトも「ポテイトゥ」ではない。タマゴも………、もういいか。

なんでもかんでも許容することが「お・も・て・な・し」ではない。ここは「日本じゃイスラム教徒も納豆食え酒飲め」と文化の違いを学んでもらうことが真のコミュニケーションでないの。もちろん無理やり飲み食いさせたらいかんが。

自分たちの国を「内」、外国を「外」と区別して、その歴然とした違いを理解することが国際交流であって、違いをなくしてしまえというのは、文化の破壊行為であってよいことなんてない。それが一方通行であるならなおさらだ。そして宗教は時に殺戮や破壊行為の源泉となる劇物でもあるのだ。

ここは日本じゃあ」と言ってもいいのだ。

中曽根元首相合同葬儀をめぐるバトル 宗教的なものVS左翼的なもの

中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬儀をめぐりゴタゴタが続いている。
まずは費用について「そんなもん税金から出すな勝手にやれ」と批判され、次は全国の公的施設に葬儀中に弔意を示すよう指示を出し、「中立性や思想や学問の自由を侵す」と批判が噴出している。

過去の総理大臣の葬儀の際も同様のことが行われており、そのときは大きな反発は起きていない。警備やホテルに金を落とすのだし外交宣伝的な効果もある。そんなに目くじら立てて批判することかと思う。

そもそも国民が選挙で選んだ総理大臣だし任期も長かったし国鉄民営化したし合同葬儀くらいいいんじゃないかと思う。反対していた人たちはそのすべてがイヤみたいだが。

亡くなった人に弔意を示すと言うのは、社会制度によって発生するものではなく宗教である。とはいえ日本人の多くがはっきりと信仰の対象をもっているわけではない。大多数は「なんとなく仏教、なんとなく神道、おまけにキリスト教」なんである。

死者を弔うのは仏教の影響が大きいし、お正月には神社に行き、クリスマスには鶏肉食べ、ハロウィンには渋谷でひと暴れするのである。結婚式なんかは片言の日本語をしゃべるアルバイト神父に結婚の誓いをするくらいだ。この神父の神通力のなさが離婚率の上昇に影響していると推察される。すごくね。この視点。まさに神ってね?ぜひ学術会議の上級学者のみなさん研究しなされ。

日本人は無宗教が多いが無信仰ではない。なんとなく仏教、なんとなく神道で、さほど違和感なくやってきたのである。

中曽根元首相の合同葬儀は、反自民党勢力にとっては「葬儀だけに争議」しているという面もあるだろうが、この日本人の「なんとなく宗教」感も嫌悪の対象になっている。

現在日本人の大多数が支持している天皇制も宗教と切り離せない。宗教や宗教的な物は、制度や法律と相性が悪い。そうだ共産主義は宗教を否定するのだ。
リベラルとか左翼とか革新とか言われる人は「なんだかんだ共産主義は正しいのだ」とはいまだに言ってそうだし。
合同葬儀に反対派は天皇制反対勢力とダブるのである。

「ダイバーシティ」に感じる息苦しさ

ダイバーシティなる言葉が世の中に浸透しつつある。
「多様性」とう意味らしく、「国籍、性別、人種、宗教、思想などによって差別されない明るい社会を作りましょう」ということらしい。

LGBTや最近の黒人差別問題もリンクして様々な分野に影響を及ぼしつつある。ハリウッド映画などでは多用な人種を配役した映画が主流になり、アカデミー賞の選考基準などにも変化が出ているという。
いずれ日本の映画演劇界でも、一定数の中国人や韓国朝鮮人や黒人を配役すべしとなるのではないかと思っているのだが、そういった変化に対して日本の映画演劇人から反応はない。

宗教はどうだろう。キリスト教徒と仏教徒なら共存できるだろうが、イスラム教はどうか。かつて「悪魔の詩」の翻訳者が日本国内で殺された事件があった。本の内容がイスラム教を冒涜しているという理由からである。
フランスではムハンマドの諷刺画を掲載したシャルリー・エブド紙が襲撃され12人が殺害された。

たしかに他の宗教をむやみに冒涜してはならないが、他国の価値観を無視して殺人や襲撃に及ぶのは間違っている。イスラム教をやたらと擁護するのは大体が反米の左翼的な人々だ。

イスラム教徒は死ぬと土葬される。日本では火葬が決まりなのでイスラム教徒が増えた自治体では問題になる。

マイノリティを弾圧したり差別してはならない。しかしマイノリティの意見に合わせすぎると大多数のマジョリティが差別されるという民主主義の否定が起きる。

ダイバーシティには「郷に入ったら郷に従え」を認める多様性はないのだから。