射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

羽田航空機事故 ペットは人間と同じか

1月2日に羽田空港で日本航空機と海上保安庁機が衝突した。海上保安庁の職員5名が殉職したが、日航機は乗客乗員すべてが脱出することができた。激しく炎上する航空機の映像をみると最小限の人的被害で済んだと思える。

事故の原因はいずれ明らかになるだろうが、現時点では羽田の管制室と海保機とのやり取りに問題があったと推測され、日航には非はないだろう。むしろ極限の状況で全員脱出に成功したことが賞賛されている。

現在インターネットによって情報はすぐさま拡散し正誤は検証され共有される。

存在意義を失いつつあるメディアはどうしてもネタを見つけなければならない。そこで機内でのペットの扱いに着目した。メディアは「貨物室にいたペットは救出できず死んだ」と書けばいい。まんまとSNSを中心に芸能人や文化人が「貨物扱いは酷い」「ペットは家族だ」と言い出し、ペットを手荷物として機内に持ち込ませろと主張しだした。すぐさまネット上では反論が巻き起こり事故機ほどではないが炎上した。

ペットを家族の構成員と思うのは勝手だが、人間と同じと考えるのはおかしい。

そもそもペットショップで買ったのではないか。ペットの側に自由意志も選択肢もなく、これは奴隷制度と同じである。

なぜ去勢手術を行うのか。生物としての本能を奪う行いを善としているあたり人間の傲慢きわまれりである。ナチスドイツの優生思想を批判できるか。

おまけに犬も猫も長い時間をかけて品種改良を行ってきた人工物である。犬や猫は自分の置かれた環境に疑問を持つこともなく、飼主への従属を余儀なくされている。そこに選択の余地はない。ペットと信頼関係があると思い、ペットは自分の下で幸せだと思っていても、それは飼主が勝手にそう思っているだけである。

動物愛護は動物虐待であることは否定できないのである。

シンギュラリティは起きないと予測する

シンギュラリティ(技術的特異点)とは人工知能が発達し人間の脳と同等になる時点のことである。そこから爆発的に人工知能は進化し、ゆくゆくは人工知能に「意識」や「自我」が発生すると予想する専門家もいる。

巷では生成AIなるものが話題である。

人間様の文化的活動をアシストしたりあるいは奪ったりすると一部では戦々恐々としているが話題先行で有意なものではないと思う。現時点では使い方さえ間違えなければ、凄い便利な便利な文房具や百科事典の類である。

生成AIはグーグルをはじめとするIT企業が開発しているわけで、検索エンジンと一体化した巨大データベースから学習しパターンを組み合わせて創作物をアウトプットしているに過ぎない。

先日NHKのクローズアップ現代で人気声優がAIによって声を再現される危険性を訴えていた。二次創作のように趣味で作る分には目くじら立てるものではない。危険なのはテレビ局やアニメスタジオがAIで声や俳優自体を作り出し生身の俳優がお役御免になることである。番組内では声優たちが集まって政府に提言をすると言っていたがまず話し合うべきは自分達の取引先である。

アメリカでは俳優たちが大規模なストライキを行い有料配信番組やAIの活用に対して俳優の権利を守るために雇用主と戦ったが、日本では政府に何とかしてもらおうとしているようだ。いつもピントがずれている。

いずれにせよ人間の役割が完全に人工知能に置き換わることはないし、将来人工知能に「意識」や「自我」が発生することも考えられない。膨大な人間の思考パターンを学習しそこから「感情データ」を算出ても、それは固有の「意識」や「自我」に由来するものではないからだ。シンギュラリティは起きないペッパー君あたりが科学の限界でいいじゃないいか。

だいたい人間はラーメンを食べに出かけたのに忘れてカレー屋に入ってしまったりする。人間の「意識」や「自我」は当てにならないし、よくよく自分のことだってよくわからない。たまに空を見上げて「自分って何」と自問自答してしまう。

人間の意識や自我だって科学は解明できていないのに機械に組み込むことが出来るわけがないのだ。

ジャングリアに感じる狡さ

沖縄北部のゴルフ場跡地に新しいテーマパーク「ジャングリア」が建設されることが発表された。

「やんばるの原生林」をテーマに自然を満喫できるテーマパークになるらしい。気球に乗ったり、ジープに乗って恐竜に追いかけられたり、ワイヤーで空を飛んだりする大変よくできた映像が公開された。

「やんばるの森」とか「国立公園」などと謳っているが建設地はゴルフ場の跡地である。おそらく格安で手に入れられる土地に、ディズニーランドのような人工的な森や施設が造られるのだろう。

商魂たくましき大自然風テーマパークの開発は好きにやればよろしい。ある程度の投資も集まるだろうしうまくいけば集客も見込めるだろう。

狡いなと思うのは沖縄の「南北問題」をコンセプトに掲げているところである。

沖縄では観光地や投資が南部に集中してしまい、北部は貧困であるという。「南北問題」というらしく、まるで地球の縮図のようである

貧困とされる素通りされる土地に観光の目玉ができれば確かに経済は潤うだろうし、地域の雇用に貢献する。しかしテーマパークのような水商売で北部の貧困を解消しようというのは傲慢に過ぎる。

安い労働力として期待されている地元の人からすれば余計なお世話ではないか。

自分達が食べる分の農作物を自給でき、地域内で物々交換もできるだろう。所得が少ないからと言ってそれが貧困に直結はしない。

それに米軍基地の建設すら反対するのだからアメリカ資本主義の権化のようなテーマパーク開発計画について沖縄県民やマスコミは反対するのが当然である……よね。

発表された映像では白人ばかりが写っている。これではジャングリアは白人による植民地である。反米左翼による反対運動が起きるはずである。たぶん。

 

 

 

 

おフランスのアジア人差別

フランスの在住の日本人が現地レストランでの被差別体験をXにポストした。きちんと抗議をしたその姿勢は好意を持って受け取られたが、フランスのような「人権先進国」でアジア人が未だ差別されてきることに戸惑う反応もある。

そのポストに対して別のフランス在住の日本人が、アジア人が差別されないための心得や振る舞いを説き、批判が殺到し炎上したわけだが、すこし気の毒ではある。日本人が美徳とする「郷に入っては郷に従え」を親切心から説いたのだろうから。

フランスを代表する標語は自由、平等、博愛とされるが「博愛」は正確には「同胞愛」であり、アジア人は同胞ではない。

そもそも、すこし間まで黒人奴隷をこき使っていた奴らである。当然のように黒人を牛や馬のように扱っていたのである。

彼らからすれば下等な有色人種にわれら同胞とほぼ変わらぬ権利を与えてやっているのである。それだけで彼らは人権に配慮していると満足なのである。

レストランで区別されるくらい我慢しろザマス。同じ空気を吸わせてやっているたけでありがたく思えザマス。

日本人からすればヨーロッパは階級社会だし差別もある。日本にだって差別はあるが、奴隷制度のなかった日本とはまるで違う。いったいどこに魅力があるのか分からない。

グローバリズムなんてくそくらえである。

ホストクラブとフェミニズム

行ったことはないしこれからも行かないので詳しくは知らないが、ホストクラブではシャンパン1本20万円、フルーツ盛り合わせ5万円といった法外な値段になるらしい。

これぞザ・資本主義である。付加価値をつけて売り手が自由に価格を設定するのが自由経済であるし、嫌なら行かなければいい。

ホストクラブにハマる女性は推しのホストのためにぼったくり価格を承知で金をじゃんじゃん払う。それもまた自由である。しかし自由経済を謳歌しすぎた。

結果借金を追い、返済のためホストから売春を強要されたりするという。あくまでホストと客の個人的な関係の中で行われたものとすれば、処罰対象にはなりにくいが、ホストクラブ自体が組織的に関与していたら犯罪である。

警察庁長官が悪質なホストクラブへの取り締まりを強化すると明言した。当然である。

客への売春強要は組織的に行なっているのだろうし、多額の金銭の動きからはホストクラブがマネーロンダリングを行い反社会的組織とつながっているように思うからだ。

警察による取り締まりに加えて、政府は「被害にあった女性の救済」も必要と言い出した。

これは極めて差別的である。

ホストクラブにハマった女性は正常な判断能力に欠け、その結果被害にあったと言っているも同然であるからだ。

男がキャバクラにハマり、借金のカタに炭鉱のタコ部屋に売られたりしても「バーカ」「自己責任だ」で終わりである。

女性は救済されるべきものという価値観に反発するのがフェミニズムだったはずである。

フェミニストはすっかりバカの代名詞になった感がある。ここで女性を救済する必要性に疑義を示せば少しは評価が上がる気がするが。

被害女性の救済を左翼系組織が任され既得権益化する未来が見える。フェミニストはその片棒担いでいるのだから呆れ果てる。

細田前衆院議長の死とマスコミの存在意義

前衆院議長の細田博之衆院議長が亡くなった。先月体調不良を理由に衆院議長を辞任したばかりであった。

セクハラ疑惑や旧統一教会との関係も指摘されており、辞任会見では説明が足りないと指摘されていた。

そしてマスコミは疑惑を説明せぬまま死去した事を受け、真相を墓場に持っていったと批判する。

どうやら日本のマスコミは記者会見を開いてもらい当事者から話を聞かないと記事が書けないようだ。

ジャニーズ事務所の会見の時もそうであった。これでは記者やジャーナリストとは説明責任を求めるだけの広報係である。

真相を突き止めたければ己の足で取材すればよく、模範は週刊誌の記者である。

大手メディアの記者は広報係の立場に甘んじているか、SNSでアンチと戦うだけの存在になった。

個人的にはSNS上で展開するTBS須賀川記者vsアンチとの熱いバトルが気になる。

どんだけX(旧Twitter)に時間を割いているのか、本業はおろそかにならないのか心配になるが、余計なお世話だろう。もはや本業がX(旧Twitter)になのだろうから。

「調査報道」という言葉があるが、とっくの昔に「2ちゃんねる」に負けていた。

すでにマスコミは存在意義のないオワコンなのだ。オワコンも死語だが。

宝塚は演劇界を濃縮したもの

昨日宝塚歌劇団が記者会見をおこなった。あちこちから非難の声が上がっている。

虐めやパワハラは確認されていないが、労働環境は良くなかったので改善しますといった内容であり、被害者側が納得するはずがない。

宝塚は親会社が大手鉄道会社だから、当然予想できた反応だろう。

しかし団内でヒエラルキーの上位に位置する加害側を疑い罰したら宝塚歌劇団を支える構造が崩壊してしまうからできない。

軍隊と一緒で階級は絶対であり、兵隊は上官に対し絶対服従の姿勢で望まなければならないのである。その階級制度が華やかなショーを支えている。

軍隊が社会常識や人権に配慮したら作戦遂行に支障をきたすのと同じである。命をかけてでも任務を遂行しようとするのもまた同じ。

宝塚ほと極端ではないとしてもこの軍隊的構造は演劇界でも当たり前であった。演劇界を数倍濃縮したものが宝塚問題であるといえる。

パワハラやコンプライアンス問題が顕在化し、演劇関係者は「昔は良かったのだが、今はダメになった」と口を揃えて言う。

いやいや昔からダメだったのだよ。

自殺するくらいならやめれば良かったのにと言うのは無責任だ。ブランド化された華やかなショービジネスの世界に夢を見、全てを投げ打ち晴れて宝塚に入ったのである。周りの期待はすごいだろうし、失敗したら人生終わりと考えるだろう。

嵐が過ぎ去るのを黙って見ている関係者達は自分たちの世代だけがなんとかなればいいと思っている。こんな業界を残される次の世代が可哀想だ。

ジャニーズに宝塚と芸能界の歪みが顕在化し失墜した1年であった。あとは一部のファンに支えられつつ衰退するのみだろう。

たしかに万博とかオリンピックはムダだが

メキシコが大阪万博から撤退すると報道された。

もともと中止を求める声があふれていたところに最悪のニュースである。さらに批判が強まるだろう。しかも旗振り役が維新の会なので一部に人には印象が悪い。

東京オリンピック・パラリンピックも批判を浴びつつ開催したので既視感が強い。東京オリ・パラはコロナ渦の悪条件から開催意義を疑われたし、オリンピックの存在そのものを否定する意見もあった。しかし次に開かれるパリ大会は全く批判されていないのはなぜなんだぜ。オリンピック反対派はどこに消えたのか

そもそも万博もオリ・パラはムダである。ムダであるものにムダだといっても意味がない。しかしムダが経済を動かすのも現実である。

都市部では自家用車はなくてもよい。公共交通機関で十分便利だし、所有コストに見合わない。車を所有せずタクシーを使いまくったほうが安上がりである。都市部の自家用車はムダである。

電気自動車もムダである。化石燃料を燃やして発電し充電するより直接化石燃料で動かしたほうが効率的である。原発を推進しないなら再び内燃機関が見直されるだろう。

今は小学生でもスマホを持っているのが普通になってきたが、そんなもの大人になってから自分で買え。ネットワーク端末を子供まで持っているなんて異常である。ディストピア感すらある。子供にスマホなんてムダである。

老いも若きもスマホをつかって情報収集に余念がないが、そこで得られるほとんどの情報はムダである。

宇宙開発もムダである。月に探査機を飛ばしたり人を送り込んでも意味はない。月の資源を地球に運んだり人類が移住するなんて非現実的だからである。月は眺めるものである。そもそもアポロは月に行って……、おっと口が滑った。

あちこちにできる唐揚げ専門店もムダである。タピオカ屋がそうであったように流行が終わればお役御免だし、そもそも家でつくればいいからである。

潜水艦のラジコンもムダである。潜行している姿が見えないではないか。

しかしムダを排除したらつまらない。

身の回りのムダは許容され公共事業のムダが批判の対象になるのは、単に為政者が気に食わないからである。加えてそんな金があるならこっちに回せというひがみ根性である。

消費税について考える

インボイス制度が始まって1ヵ月ほど経った。
反対派もすっかり静かになってしまったが、大きく影響が出るのは免税業者との付き合いの多い中小企業であり、とりわけその経理担当者である。あれだけ騒いでいた文化系の免税業者はなにも変わらないじゃないかと肩透かしを食らった感じではないか。もちろんだんだん影響は出てくるのだろう。

インボイス反対派の主張に「消費税自体が悪である」という意見が多く見受けられた。消費税自体を廃止してしまえばインボイス制度も不要であるという論まであった。

もともと消費税は生活に密着しており逆進性もあるとされ、「庶民の敵」となりやすい。野党は消費税減税を訴えるのが常である。

消費税は本当に悪いものなのだろうか。

たとえば累進課税である所得税は高所得者ほど多く払う。その分低所得者は低く設定されており累進性が強すぎる。

かたや自営業者や零細企業の所得税のうち税務署がきちんと補足しているはその半分程度とされている。うまいことやれば所得税を減らすことが出来るし、税務署もきちんと調べたりしない。

相続税もそうである。代替わりで山を売ったとか、家屋を処分しなければならないとか、資産家に厳しい。日本は金持ちに厳しい国なのである。

消費税は子供から高齢者まで誰でも払う(インボイス反対派が主張していた「消費者は消費税を負担していない」という論には組しない)。消費税は所得税や相続税にくらべれば公平な税制である。

そして日本の社会保険制度は高齢者に甘い。

医療費は1割負担なので、昼間の町医者は暇な高齢者のサロンと化している。高齢者の高額医療も支えているのは現役世代の保険料である。

岸田政権が所得税の減税と住民税非課税世帯への給付を計画しているが、住民税非課税の多くが高齢者世帯である。地方では過疎地で暮らす高齢者のために多額の税金がつぎ込まれている。

国民年金を真面目に支払っても支給額は月6万円である。国民年金を1円も払わず生活保護を受ければ月13万円もらえるのである。あまりに歪である。

高齢者にも応分の負担を求めるべきで、そのためには現状では消費税が適切である。高齢者も払う消費税を減税したら、相対的に現役世代の負担が増大する。

なんなら消費税を30%にして社会保険料を見直すべきである。

「消費税は悪である」という安易なポピュリズムは、高齢者を優遇し、現役世代をますます苦境に追い込むことにつながる。

 

中東問題 触らぬ神に祟りなし

ウクライナとロシアが戦争を始めたときどうだったか。

ゼレンスキーを正義のヒーローと絶賛し、プーチンは気違いの悪魔とし、ウクライナの戦争は正義であるとメディアは伝えた。ロシア相手には交渉は通じず、徹底抗戦するしかウクライナに残された道はないと。

 

www.koketumarobitu.com

www.koketumarobitu.com

ウクライナ戦争は「あらゆる戦争に反対」してきた「左翼」の土台を崩したと思う。結局こんなことすら外圧によってのみ変化するというのはなんとも日本人らしい。

ウクライナ戦争も長期化をし国際社会から飽きられてきた。お古の兵器一掃セールが終わったのだろう。そろそろ閉店である。欧米はゼレンスキーを退陣させロシアとの和平交渉に進ませるだろう。ゼレンスキーには申し訳ないが、フェーズは完全にパレスチナ問題に移ってしまった。

さてパレスチナ問題である。

 

www.koketumarobitu.com

テロ組織ハマスの創設はイスラエルが支援している。当時PLOに手を焼いていたイスラエルがパレスチナを分断させるために行ったことである。

仮に今でもハマスとイスラエルが通じていたらどうか。ビンディンとアメリカのように。

するとハマスからの最初のミサイル攻撃をイスラエルの諜報機関が察知できなかったのか説明は付く。やらせたとも考えられるし、そもそも大量のミサイルによる攻撃があったなんてイスラエルが言っているだけなのだ。SNSの情報なんてなんとでも加工できる。敵対を装う勢力を相手側に埋め込みコントロールするのは同盟国アメリカのお家芸である。日本政府をコントロールするためCIAが全共闘運動を支援していたのと同じことだ。

中東問題はイスラム原理主義とユダヤ教とその背後にあるキリスト教の宗教戦争の側面もある。そんなもの日本がクビを突っ込むことはなかろうと思う。勝手に殺しあってなさいとしか思えない。

しかし日本ではイスラエルを支持する保守派とパレスチナを支持するリベラル派が喧々諤々である。以外なのはメディアがガザ地区に住むパレスチナに同情的であることだが、これはアメリカの同盟国である日本は最終的にはイスラエルの側に立たざるを得ず、そうなったら「アメリカ追従である」と政権を批判するための布石であろう。

際立つのは国際社会のダブルスタンダードである。ウクライナ戦争ではあれだけゼレンスキーを支援しロシアと戦えと焚きつけたのに、中東問題では和平を求めている。算盤をはじいた結果なのか。

ウクライナを応援しその戦争に正義を見出した人達も中東問題では難しい問題であると言い訳をして思考停止である。悪魔相手には議論は不毛で戦うしかないといっていなかったか。どちらを憎むのか。僕にはハマスもイスラエルも悪魔に見えるので触らぬ神に祟りなしと思う。

民間人、特に子供の犠牲者は可哀想だが、そういった情報に対する過度な肩入れも判断を誤らせ結果的に利用されてしまう。湾岸戦争の石油にまみれた水鳥と同じである。