射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

デモをするならアホなふうに

フランスの「黄色ベストデモ」が拡大を続けている。はじめは燃料増税に反対する地方生活者から始まった抗議行動であったが、SNSを介し野次馬や暴徒が加わり、建造物の破壊や放火などの蛮行を起こしたくさんの逮捕者が出ている。マクロン政権は燃料税の引き上げを延期したがデモは治まる気配がない。もはや目的を失っているからだ。社会自体や格差や低所得に対する不満が入り混じり、集団で集まって抗議すること自体が目的化しているように思う。恐ろしいのはリーダーがいないことだ。SNSの短文による扇動は判断力を失わせる。そういった成り立ちの集団心理とは交渉のしようがない。

そして抗議活動が暴徒化してはいけない。権力による鎮圧の大義名分ができてしまうからだ。最終的には国家権力には敵わない。暴徒化してくれた方が政府としてはありがたいのだ。

日本の安保闘争の時もそうだった。権力側も世論も始めは学生に理解を示していたが、過激になりついには死者が出たことで風向きが変わる。国家権力や警察力が本気を出し鎮圧された。

今回のフランスでのデモでマクロン政権は痛手を被るだろう。しかし暴力から生み出された変化は乱暴なクーデターであり「民主主義」とは相容れないものだ。良いことはない。

日本でも知識人や文化人はこういったデモの肩を持つ。「大衆が集団で拳を振り上げ力を誇示すること」を盲目的に良いことだと思っているようだ。つまり、大衆はそんな手段を取るしか能がないと「差別」していて、かつ安保闘争へのセンチメントを今だに持ち続けているのだろう。

デモは「示威活動」などと訳される。たくさんの人が集まり「いざとなったらこの集団が牙をむくぞ」と権力側や世界にアピールできれば良いのである。そしてイデオロギーを持ち込むと様々な目的を持った集団が加わって収拾がつかなくなる。純粋な気持ちの参加者が活動家に利用されたりする。だから真面目にに闘ってはいけないのだ。なるべくアホなやり方をしたほうがいい。

フランスのデモも「全裸に桃色ベスト着てシルブプレと叫びながら練り歩くデモ」として、フランスパンを武器に警察と対峙すればよかったのだ。その方が楽しいし、目的を達成しやすいと思うのだが。