空転日記

はばかりながら はばかる

活字文化は衰退していない

コンビニの書籍陳列コーナーで驚いた。週刊文春が420円!こんな高かったっけ。

20代のころ、文春は200円ぐらいだった気がする。そのあと徐々に値段が上がってきたのは知っていたが、20年で倍の値段になったが内容は倍になっていない。この値段では、スキャンダル砲を連射して注目を集めないと売れない。

新聞も部数を減らしている。実家は新聞を取っているのでたまに読む。新聞の価格はそんなに上がっていないと思うが、内容は薄くなった。夕刊なんてぺらぺらだ。親は折り込み広告が少なくなったと文句を言う。地方だと、新聞自体より折り込み広告のほうが大事なのだ。テレビ欄も大事だったが地デジテレビで番組表が見られてしまう。電車の中で新聞雑誌を読む人は居なくなった。出版不況は本当だ。

一方インターネット上でSNSやツイッターなどは盛んである。みんな電車の中でスマートフォンとにらめっこである。動画やゲームもあるが、ネットで扱う情報の8割程度は活字だと思う。文字を入力し文章を書くことも多い。自分の意見を世に出す事もできる。このブログもそうだ。ツイッターやラインは短文中心だが、これは俳句や短歌を考えればなじみがある。

何かにつけてメディアは活字文化は衰退しているというがうそである。これまでになく活字文化は盛んになっている。オールドメディアである出版業界がかつてないほど衰退しているのだ。手で字を書かなくなったことに危機を感じるという意見がある。だとすればグーテンベルグの時代からその危機は始まっているはずだ。

とはいえ文字は書けないより書けたほうがいい。特に漢字なんかは書くこと自体に文化的な意味がある。ただこれって東アジア特有の考え方なんじゃないかと思う事がある。アルファベットなんて26文字しかない。書けることにこだわる必要はあまりない。

もし将来人類が滅んだら、遺物を発掘しに異星人がやってくる。そこで目にするのはさまざまな形で遺された膨大な量のデジタルデータだ。

国家機密や行政文書にとどまらず「ニンニク増し増しガチうまし」とか「橋がおちたおくれるテヘペロ」なんていう文書も異星人が持ち帰り、貴重な文献として研究されるかもしれない。ネットの書き込みは慎重にしよう。このブログもその未来を想定して書いている。