空転日記

はばかりながら はばかる

LGBTについて考える

性の多様化に関するニュースが多い。大半はその権利保護と行政の取り組みに関する不満を訴えるものだ。たしかに同姓では結婚できないしアパートも借りにくい。さまざまな差別や偏見もある。

もちろんLGBTが不当に差別されたり理不尽な目にあってはならないし、現在の価値観で少数派であるだけだ。改善できる所はあるだろうし、様々な個性を持った人たちが共存していくべきだ。とはいえ極端に進むと混乱が起きるだろう。

たとえば「心は女です」と言う男が女湯に入ってくるのを拒めなくなる。世の女性は認めないと思う。江戸時代は混浴だったし、すぐに慣れて当たり前になるかもしれない。しかし確実に犯罪は増えるかもしれないし、風紀は乱れる。

教育現場も混乱するだろう。男がスカートを女がスラックスを履くのはいいが、更衣室やトイレは困る。授業参観ではパパがママでママがパパ、じじいがばばあでばばあが…。性教育も見直さないといけないし、図書室には田亀源五郎の本をそろえなければならない。

性的倒錯者の問題もある。

小児性愛者、マゾヒズム、サディズム、ネクロフィリアなどはどうするのか。小児性愛者が欲望のおもむくまま行動したら現在の常識では犯罪になる可能性が高い。ネクロフィリア(屍体性愛)は禁忌である。

特定の物や体の一部に性的魅惑を感じるフェティシズムなども問題になる。フェティシズムはパーツに固執し人格を無視する傾向があるからだ。

とはいえ性的倒錯者も人権があるし、時代とともに価値観が変わり認知されていく可能性もある。そして性的倒錯者と性的少数者と性的多数者は区別できず重なり合う部分もある。どこで区別するのか。法改正も必要なのか。そしてそれについて議論することが、新たな差別を生み出さないか。ここまで踏み込まないと本質的な議論にならない。

 そしてLGBT問題を他の問題と絡めて語る人が多い。「LGBTに理解のない人は相模原の障害者施設大量殺人事件の犯人と同根だ」とまで言い切る人もいる。そこまでいくと解決不能の人権問題となり袋小路に入る。LGBTなどで苦しんでいる人たちのためにもならない。