空転日記

はばかりながら はばかる

元号廃止?キリストの生まれた年が基準でいいの?

平成がまもなく終わり、改元が行われる。元号そのものに対して様々な意見が出ている。共産党の志井和夫委員長も天皇一代に一元号とする元号法の廃止を訴えた。主張はこのようなものだ。

「元号は、時をも君主が支配するとの考えからきている。国民主権の原則になじまないと考えている」

さすが天皇制廃止を訴えてきたブレない共産党である。天皇制を廃止するためには憲法改正が必要なのだがそこには黙っている所もブレない。

元号反対論者は二種類いて、共産党のように天皇制反対の立場から元号に反対している人たちと、単純に西暦のほうが便利で事務処理も楽だからと考える人たちである。

昔は天皇の意向でころころ元号が変わったそうである。大災害が起きたときや、めでたいことがあったとき、きれいな雲が現れたとき、変な亀が献上されたときなど。変な亀ってなんだ?きっと元号は「珍亀」だったのだろう。それに比べれば現在の改元のプロセスは政府主導で天皇のご意向なんて反映されていない。共産党はタイムスリップでもしてきたのか?

日本人のほとんどが天皇制を支持しているので、天皇制反対からの元号反対論者の言うことは無視してよい。

比べると、単純に便利であるという意見はもっともである。面倒なのは確かで事務にかかる費用も莫大である。行政文書などは西暦で統一したほうが効率がいいと思う。

主として使うのは西暦にして、元号は一つの文化的アイコンとして必要に応じて使えばいい。西暦だけにしてしまうのは反対である。

西暦はイエス・キリストが生まれた翌年を紀元とする紀元法である。日本人の多くはキリスト教徒ではなく、無宗教的ではあるが仏教神道が文化的支柱としている。便利だからとキリスト教由来の西暦だけにしてしまうのはもったいない気がするのだ。

そしてキリストが生まれた年なんて、よく分からない聖書の物語である。それを基準にするより、天皇が変わるという日本人の誰もが共有できることを始まりとするほうが良いと思う。日本共産党はアメリカ嫌いのふりをして日本をキリスト教化したいスパイに違いない。

それに西暦だと4桁の数字だけになってしまい味気ない。元号があったほうが振り返ったときその時代を思い出しやすくなる。上手に使い分ければいいと思う。