近眼だったので小学2年生から眼鏡を使用している。
視力はどんどん悪くなり、高学年になる頃には牛乳瓶の底のようなレンズになった。細い銀縁フレームだったのでレンズの厚みが目立ちコンプレックスとなった。
毎年行われる視力検査で近視が進み、そのつど知り合いの眼鏡屋で作り直さなければならない。
視力検査の結果を家に持ち帰るときは憂鬱だった。それを見せたときの親のがっかりした顔が今でも思い出される。やれやれ僕はまたレンズが厚くなるのかとうんざりした。
そこで視力検査の際に少しでも好成績(?)が残せるよう一計を案じた。
検査の列に並んでいる間に眼鏡をかけ、あのCの形したランドルト環の方向を暗記するのだ。これで好成績が残せる!天才だ!
ところが6年生の視力検査で、その時は来た。また暗記作戦を行いランドルト環の向きは覚えた。しかし自分の番になり唖然とした。検査者がどのランドルト環を指しているのか見えないのだ!暗記作戦はもう通用しない!
視力結果は「0.1以下」という非情なもの。「以下」ってなんだ。まとめるな。
時は経ち、高校生になった。ここで革命が起きる。細目のメタルフレームしかなかった眼鏡業界に縁の厚いボストンタイプの眼鏡が流行るのである。
当時アルバイトもしていたので、自分で眼鏡をあつらえに行った。地元にあるパリミキである。レンズが厚くても目立たないし、忌むべき銀縁フレームから卒業し、眼鏡がファッションアイテムに変わった瞬間だ!
このパリミキは小学生の頃に1人で行ったことがある。銀縁フレームのねじが取れてしまい駆け込んだのだ。そのとき掛けていた眼鏡はプラスチックレンズで、横から見てフレームからはみ出す厚みがいやで、レンズの縁をカッターで削っていて、削り後はガタガタだった。
店員はねじをつけてくれ「レンズを自分で削ったの?きれいにしてあげようか?」と小さなグラインダーで、雑な削り跡をきれいにしてくれた。無料で。
ありがとうパリミキ。ここから自分で眼鏡を作るならパリミキでと決めていたのだ。
そして現在になり眼鏡は、すっかり市民権を得てお洒落なアイテムになった。昔は「ガリ勉」「根暗」「暗い所で本を読んでばかりいる」とか中傷にさらされたものだ。
今では眼鏡も安くなった。とはいえ僕が使っている眼鏡は安価なレンズだと分厚くなるので、それなりの金額はする。フレームにこだわらなくても7~8万円するのだ。
本題に入る。なぜ眼鏡に保険が適用されないのか。今まで眼鏡に結構な金額をつぎ込んできた。眼鏡がないと生活に支障がでる。それに作るには医者の処方箋も必要だ。
小児用の弱視眼鏡などは保険が適用されるらしい。それに比べると、たしかに通常の眼鏡やコンタクトの使用は「矯正」であり、それで済むのなら「病気」ではないということだ。
娘が小学生の頃「発達性弱視」の疑いがあり、某大学病院まで行き検査をした。結果問題はなかったのだが、そのとき娘の裸眼視力を聞いたら「矯正して見えるのなら異常ではありませんので、教えられません」と突っぱねられた。「病気じゃない」ということである。腑に落ちない。
腰痛のコルセットは保険が適用されることがある。痛みのあるなしはあるが、腰痛だって視力の低下だって生活に支障がでることにおいて、違いはないと思うのだ。
眼鏡がないと「落穂拾い」状態になってしまう。街中だったら交通渋滞を引き起こしてしまうかもしれないし、電車を止めてしまうかもしれない。マンホールに落っこちることも想定される。眼鏡使用者にかかる重圧はすごいのだ。
ぜひ何割でも保健が適用されるべきである。
ちなみに今、眼鏡はパリミキでは作っていない。すいません。近くにないんだもの。