空転日記

はばかりながら はばかる

10歳のYouTuber

沖縄の10歳のYouTuberが話題である。

「少年革命家」を名乗り自由を求めて学校に通わない選択をしたという。「少年革命家」というのはなかなかインパクトがある。「ホームレス中学生」くらいには。大人になって革命家を名乗っていたらただのバカだか、子供ならよし。しかし物議をかもしているのは、どちらかといえば心理カウンセラーを名乗る元ヤンの父親の存在である。

 

この少年革命家は行きたい時だけ登校し、行きたくない時は学校に行かない「自由登校」をしており、「不登校は不幸ではない」と発言している。そんな息子を父親は全面的に擁護し、息子を金儲けに利用をしているという批判も反発している。

いわく「子供だって、自由に生きる生き方がある」、「宿題をしたくない子供に強要する権利が学校や親にあるのでしょうか」、「閉鎖的な場所(学校)での出会いで学べる事より、自らの足でいろんな人に会いに行った方が多くの事を学べるのではないでしょうか」とコメントしている。

 

かつての管理教育に対する批判を思い出す。これが官庁を動かし、悪名高き「ゆとり教育」を生みだすのだ。ゆとり教育はいまでこそ失敗の烙印を押されているが、よいこともあったと思う。それは才能のある天才には好都合な教育だったからだ。

現在、色々な分野でかつてないほど「天才」と言える若者たちが活躍している。大谷翔平、池江璃花子(闘病中だが)、将棋の藤井聡太、その他にも卓球やバドミントンの選手たち。これはゆとり教育の成果ではないか。

特定の分野の才能をのびのび伸ばすには、余計なことはしなくてもよいゆとり教育は好都合なのである。しかし「天才」は一握りしかおらず、ほとんどの人間が行き着くところは、ありふれてどこにでもいる、特筆する才能などない「凡才」である。学歴や就職で多少の貧富の差がある程度である。

 

さてこのYoutuber君はどうだろうか。義務教育を放棄しその分野で食っていけるだろうか。少年革命家を名乗るなら少しは勉強しないとなれないと思うが。

勉強もしないで「いやな事はやらず、やりたい事だけやる」というのでは、犬や猫と一緒である。しかしそんな生き方でも「多様性」を重視するという観点では尊重されるべきではある。

確かに方程式が分からなくても国会の仕組みが分からなくても、そんなに困らない。しかし人間は生きるために不要な難しいことを勉強したり、知識をつけることに面白さを感じる稀有な生き物なのである。暴走族だって難しい漢字を使って名前を付ける。あれは「難しさ」に対する憧れである。

 そういう面白さを放棄して犬や猫みたいに生きてゆくことのほうが辛い道なのだ。そういうことが分かるのも教育の賜物である。