津田大介という大学の教員がいる。ジャーナリストでもあるらしい。大学の教員に資格はいらない。そしてジャーナリストと名乗るのは「表現の自由」である。
ちらほらとテレビやラジオに出演している。以前は「メディアアクティビスト」というなんだかよくわからない肩書であったが、これもまた「表現の自由」である。
津田大介は2016年の都知事選で鳥越俊太郎の応援をしていた。鳥越氏については週刊誌が「女子大生淫行疑惑」を報じ選挙は惨敗。その後は表舞台から姿を消した。
センセーショナルな醜聞が主たる敗因であったが、鳥越氏本人の政治家としての資質にも大いに疑問があった。「報道の第一線で活躍してきたニュースの職人」などとおだてられていたが、テレビの討論会などでは、具体的な政策について語ることはできず、すぐに感情的になり、的外れで安直な政権批判しかできなかった。
選挙後にインターネットの番組で、鳥越氏を応援した津田大介に対して猪瀬直樹が懇々と説教していたのを記憶している。
バカを担いでしまった恥ずべき事態であり、普通ならみっともなくて表を歩けまい。しかし不屈の男、津田大介は臆することは無かった。
さて時代は令和となり、津田大介は「愛知トリエンナーレ」の芸術監督を務めた。芸術監督にも資格は要らない。芸術的センスや知識も要らないらしい。
この「愛知トリエンナーレ」はその展示内容から官民を巻き込んだ大騒動に発展した。詳細は各所で報じられているので、省略する。
インターネットなどで知るところ、その展示内容は、おバカな反体制活動家による程度の低い悪ふざけのようなものである。以前だったらさほど問題にならなかっただろう。たくさんのお仲間メディアに守られてきたから。
しかし今では以前とは違う空気が醸成されていることも知ろうともせず、どのような反響が巻き起こるか考えていなかったようである。
おまけにお仲間の東浩紀と仲間割れである。「内ゲバ」というほどでもない。ガキのけんかである。
以前はこういった人たちを、進歩的だの革新的だのと文化人呼ばわりしてきたが、時代は変わった。実は体制にべったりで、表面上だけ反体制を気取っているだけである。以前も書いたが僕はこの種の人たちを「ほのぼのアナーキスト」と呼んでいる。
もはや見世物小屋に展示されているのはこの人たちである。彼らにはもう時代を変える力もない。好きにすればいい。
津田大介はこれからも少数の理解者と子供じみた活動をつづけるのであろう。
しかし感心するのは、この男はどんなに恥をかいても動じない。強靭な精神を有しているのであろう。社会主義活動家であった父親の影響なのか、あるいは何も感じないのか、どちらかはわからない。
世の中成功者ばかりではない。数多くの失敗をし悲嘆にくれている人も沢山いる。数多くの批判に晒されてきた津田大介は、そのような人達をなぐさめ、あまたの敗者の理解者になれる可能性を秘めている。そしてインターネット上の誹謗中傷や自分達に都合の悪い情報に屈せず、コペルニクス的転回でもって反撃の材料にするあたり、なかなかしたたかである。
そして津田大介がなんかすればするほど、本人の意向とは逆に進んでるようで面白い。
だんだん応援したくなってきたゾ。
がんばれ金髪津田野郎!