空転日記

はばかりながら はばかる

年賀状は返信しなくてもよし

年賀状のやりとりは難しい。

確実に送り送られする相手はいいのだが、そこまででもない微妙な関係や距離感の人に送るべきか悩む。

たとえば昔お世話になったが、今もこれからもおそらく関わらない人達や、もう関わりたくない人達である。

なんとなく形式的にやり取りを続けているだけで、もしかすると相手もこちらに送る年賀状を止めるタイミングを伺っているかもしれない。

今年、以前大変お世話になった人に出したのだが、なかなか返事が来なかった。遅れて届いた年賀状は、毎年頂いていたパソコンで作ったお子さんの写真入りのものではなく、デザインは市販のもので宛名は手書きであった。

おそらくその人は年賀状自体を止めたのではないか。ところが僕からの年賀状が届いてしまったのでしかたなく、出してくれたのではないか。かえって迷惑になってしまったかもしれない。

このように年賀状を止める人は多い。問題は届いてしまった場合どうするかである。返事を出してしまうと次の年も来てしまう。返事をしないと失礼だと思われてしまうかもしれない。きっぱり止めるには強い意思が必要である。

たしかにメールやSNSで新年の挨拶をすることもできる。年賀状を出さない人も周りに増えている。止めてしまうほうが合理的である。パソコンの更新などで年賀状の作成を止めてしまう人も多いだろう。

年賀状が広まったのは明治時代に郵便事業がはじまり官製葉書が普及してからだ。そんなに歴史があるわけでなない。郵便という制度が年賀状を作ったのなら、インターネットという制度が新しい新年の挨拶を作ってもよい。

しかしまだまだ紙の年賀状に魅力を感じる人もいる。高校生の娘は友達や先輩との年賀状のやり取りを楽しみにしている。

年賀状を出す人も出さない人も、気持ちよく新年を迎えるるために、「年賀状をもらって返さなくても失礼ではない」という文化を作るべきだ。そもそも年賀状を出さないと損なわれてしまう人間関係だとすれば、大切なものではないのだと思う。

義理で出している年賀状を止めるだけでも、ずいぶん楽になるだろう。郵便局は売り上げが減るかも知れないが、大量の年賀状の配達に追われるほうが異常ではないか。

年末年始は郵便局でバイトをするのが当たり前で、僕もゴツい自転車に乗って年賀状を配ったことを思い出す。そのお金で登場大流行していたCDラジカセを買ったのだ。初めて買ったCDは佐野元春のカフェ・ボヘミアだ。最近は年賀状を配る高校生を見ない気がするのだが、やはり取り扱う量が減ってきたのだろう。CDも年賀状も廃れてきたのか。