最近ネットのニュースで知って驚いた。昭和30年代に千葉県我孫子市の手賀沼を大開発してディズニーランドを誘致する計画があったというのだ。
僕は千葉県出身である。千葉の子供達は小学校で社会の副読本「すすむ千葉県」を与えられ千葉の歴史や文化について学ぶ。強く印象に残っているのは、「手賀沼の水質汚染は日本一」という不名誉な事実であった。
手賀沼は高度成長期に周辺住民の増加にともない大量の生活排水が流れ込み水質は悪化、ついには日本一汚いの座を獲得する。現在、水質は改善されているはずだが、「我孫子」と聞くと、「日本一汚い手賀沼」が連想される。酷い風評被害である。千葉県民限定だと思うけど。
しかし明治時代の手賀沼は風光明媚なリゾート地であった。柔道の嘉納治五郎が別荘を構えたことに始まり、小説家の志賀直哉や武者小路実篤などが住み、白樺派の拠点となった。急に思い出したが、僕が通った高校の近くに有名な霊園があり、そこに嘉納治五郎のお墓があった。新しく高校に赴任してきた柔道部の先生が教えてくれた。そう考えると嘉納治五郎はずいぶん千葉と縁があるのだと気づいた。とはいえ嘉納治五郎と聞くと浦沢直樹の漫画「YAWARA!」の猪熊滋悟郎しか思い浮かばない。酷い風評被害である。始まったばかりのNHK大河ドラマ「いだてん」で嘉納治五郎が活躍しているので風評被害を払拭していただきたい。
手賀沼ディズニーランドの誘致計画が始まったのは昭和34年。遊園地だけでなく健康ランドやスポーツ施設などを含む複合施設建設を目指していた。実現していたら、今のディズニーランドと船橋ヘルスセンターを合わせたような施設になっていただろう。
結局造成された埋立地は宅地になり手賀沼ディズニーランド計画は幻となり、後に浦安市に誘致されその後の大成功はご存知の通り。しかし千葉県民としては不満がある。
東京に近いからと東京ディズニーランドと名乗りやがっている。本来は千葉ディズニーランドもしくは浦安ディズニーランドだろ。百歩譲って東京ベイディズニーランドならいい。改名したまえ。
もし手賀沼にディズニーランドがあったならば、さすがに「東京」は名乗れまい。ざまあみろだ。ディズニーシーもディズニー沼にならざるをえなかっただろう。
そして千葉県北西部の子供達に誇りと自信を植え付けたことだろう。なんとなくあの辺特徴がないのですよ。松戸とか柏あたりもぱっとしないし。常磐線に乗ればすぐに上野さ出られるから地元に愛着がない。千葉県北西部の民は東京に近い事を誇り、房総とは違うのだよと卑屈に生きているのだ。もし手賀沼にディズニーランドがあれば千葉県北西部は、人は卑屈にならず、明るく健康的な雰囲気があったのではないかと思う。まったく残念である。