空転日記

はばかりながら はばかる

自由にしたいなら制服やめればいいのに~女子にズボン、男子にスカート~

制服に変化が起きている

いくつかの中学校で制服の男女差を無くそうとしている。ある中学校では女子はスカートとズボンの両方から選べ、男子もズボンのほかスカートも選べるという。

「男子はズボン、女子はスカート」という固定観念を捨てるという発想らしい。

女子にズボンはいいと思う。スカートは冬は寒いだろうし、普段からズボンしか穿かずスカート嫌いな女子もいる。スカートのほうが好きという子はそのままでいい。

しかし男子にスカートは需要はあるんだろうか。

男子にスカート

テレビではいわゆる性的マイノリティやあるいは職業として女装しているタレントはたくさんいる。そこでは男子にスカートはもはや違和感はない。マツコ・デラックスとかキャンディ・ミルキィさんとか。

しかし普段日常でスカートを穿いている男性はほとんど見ないし知り合いにもいない。

たまにお洒落な街でメンズ用の巻スカートを穿いている人はいるが。

ごくまれに電車の中で明らかなおじさん(若い男ではない)がスカートを穿き、メイクもし、完全に女性の格好をしていることがある。それは性的マイノリティか単なる女装癖なのかは分からない。

そういう人がいると周りの空気は微妙なものになる。好奇の目を向けたり、あえて見ないふりをしたりする。それは差別ではなく、自分たちの日常から乖離しているものを見たときの「違和感」だとおもう。女性の格好してる男はほとんどいないからである。

男子生徒にスカートの着用を認めるとして、周りが感じる「違和感」は大きいと思う。

その「違和感」が「差別」だといわれれば受け入れよう。そもそも差別のない世の中なんてないのだから。

個性とは与えるものか

制服の改革をすすめているのは「性的マイノリティ」の問題だけでなく「その子の個性を重視し自由にすること」も理由らしい。

しかし個性というものはどんなに押さえつけても出てきてしまう特質だ。

上から自由を与え、重視してやらねばならないものは、個性ではない。「他性」である。

制服の問題に関しては「ズボンでもスカートでもいいよ」と選ぶ権利と自由を押し付けられているだけで、管理されていることに変わりはない。

それに個性や自由を尊重しすぎると、そもそも義務教育自体の否定になってしまう。

私服でいいじゃん。しかし制服をやめられない理由

ある程度の個性と自由を重視するのであれば、中途半端にせず制服自体やめてしまえばいい。

制服自体が男女の固定化の象徴であり、それは入れ替えても同じである。

私服であれば何を着ようとそれこそ自由である。周囲の目を考えたり、それに伴う責任も負うことも自由である。制服というカテゴリー内で中途半端に管理しようとするから逆に性差を際立たせ、おかしなことになるのだ。

なぜ制服をやめられないのかといえば、教育委員会や学校と地域の制服販売店との長い関係があるからだろう。

娘が区立中学校に入ったとき、制服やジャージの購入で5万円くらいかかった。まったく高い。

ジャージなんかは背中に英語で学校名が入っているカッコいいものだが、高価でしかも選択肢はない。結局、業者との癒着でやめられないのだ。ジャージなんて市販のものでいいじゃないか。

少子化のなか、性的マイノリティとか自由や個性を重視するというお題目で、生き残りを図ろうとする関連業界と教育行政との「大人の事情」が見えるのだ。