射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

中曽根元首相合同葬儀をめぐるバトル 宗教的なものVS左翼的なもの

中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬儀をめぐりゴタゴタが続いている。
まずは費用について「そんなもん税金から出すな勝手にやれ」と批判され、次は全国の公的施設に葬儀中に弔意を示すよう指示を出し、「中立性や思想や学問の自由を侵す」と批判が噴出している。

過去の総理大臣の葬儀の際も同様のことが行われており、そのときは大きな反発は起きていない。警備やホテルに金を落とすのだし外交宣伝的な効果もある。そんなに目くじら立てて批判することかと思う。

そもそも国民が選挙で選んだ総理大臣だし任期も長かったし国鉄民営化したし合同葬儀くらいいいんじゃないかと思う。反対していた人たちはそのすべてがイヤみたいだが。

亡くなった人に弔意を示すと言うのは、社会制度によって発生するものではなく宗教である。とはいえ日本人の多くがはっきりと信仰の対象をもっているわけではない。大多数は「なんとなく仏教、なんとなく神道、おまけにキリスト教」なんである。

死者を弔うのは仏教の影響が大きいし、お正月には神社に行き、クリスマスには鶏肉食べ、ハロウィンには渋谷でひと暴れするのである。結婚式なんかは片言の日本語をしゃべるアルバイト神父に結婚の誓いをするくらいだ。この神父の神通力のなさが離婚率の上昇に影響していると推察される。すごくね。この視点。まさに神ってね?ぜひ学術会議の上級学者のみなさん研究しなされ。

日本人は無宗教が多いが無信仰ではない。なんとなく仏教、なんとなく神道で、さほど違和感なくやってきたのである。

中曽根元首相の合同葬儀は、反自民党勢力にとっては「葬儀だけに争議」しているという面もあるだろうが、この日本人の「なんとなく宗教」感も嫌悪の対象になっている。

現在日本人の大多数が支持している天皇制も宗教と切り離せない。宗教や宗教的な物は、制度や法律と相性が悪い。そうだ共産主義は宗教を否定するのだ。
リベラルとか左翼とか革新とか言われる人は「なんだかんだ共産主義は正しいのだ」とはいまだに言ってそうだし。
合同葬儀に反対派は天皇制反対勢力とダブるのである。