さて「鬼滅の刃」について書くのは2度目である。前回はこの大ヒットアニメの「モノローグ多すぎ問題」について書いた。
昨日「無限列車編」が放送された。相変わらずモノローグは多すぎ、とにかく説明が過剰である。
そしてラストはこれでもかと怒涛の感動の押し付けである。相変わらず「分からないところが無かった!感」が凄い。
確かに感動的なのだが、これに感動していいのか戸惑う。いっそ感動している自分に感動するべきか?
「鬼滅の刃」の世界では鬼の存在は一般には知られておらず、それを倒す使命を帯びた「鬼殺隊」も政府非公認組織。つまり社会から隔絶したスーパーボランティアである。やましいことはありません。
登場人物も裏表がなく純粋。小難しい事は考えずに「感動させる事」に特化した作風なのだ。
アニメにせよ小説にせよ、社会とか世相における普遍的な問題が通奏低音のように作品中に存在し、その作品世界に深みを与えるものだ。「鬼滅の刃」はその辺バッサリと斬り捨てているのが潔い。
そしてメディアミックスがすごい。
「無限列車編」の放送ではキャラクターとコラボした野球ゲームなどの関連商品のCMか流れまくる。
なんと炭治郎や善逸たちが消しゴムになった!ってキン肉マン消しゴムを思い出し、昭和かよとツッコミを入れたくなる。
業界を総動員しての「鬼滅の刃」フィーバーであり、テレビ局はそこに全集注の呼吸である。テレビ離れが進んでいるといわれる落日のテレビ業界にあって「鬼滅の刃」フィーバーは久しぶりの活気をもたらしているのだろう。オリンピックより熱心だ。
その一方で「鬼滅の刃」アニメ制作会社ユーフォーテーブルが脱税で告発された。もちろん脱税は犯罪でありいけないことである。そして空前の大ヒット作を作った会社にしてはセコすぎる。
大ヒットの恩恵を1番受けるべきアニメ制作会社が脱税をするなんてアニメ業界のいびつな収益構造が透けて見える。
複数の出資者からなる「製作委員会方式』では下請けアニメ制作会社の取り分は決まっている。その後ヒットとなってもロイヤリティはない。
製作委員会方式だと結果的に出資した分だけ回収できればよく、可もなく不可もない当たり障りのない作品になりがちである。アニメだけでなく邦画もそうで、アニメ原作で、売れている俳優をつかい、当たり障りのないストーリーになる面白みのない作品が量産される事態になっている。
「鬼滅の刃」の分かりやすさとそれゆえの深みのなさも製作委員会方式が原因ではないか。原作を膨らませたり改変したりする挑戦や気概が作品から感じられないのだ。