親は選べないから、どのような親のもとに生まれるかで運命が決まってしまうという。
そりゃそうでしょうね。当たり前ですね。そしてそれを指す「親ガチャ」という言葉を広めようと躍起になっている人たちがいる。
親が無教養だったのでその子も無教養になり、親が貧乏だったのでその子も貧乏になる。すべてに当てはまりはしないが、そういう親の特性が、子にまとわりつきやすいのは事実だと思う。
よくテレビで「大家族もの」をやっている。そいう家族は親が若いうちから子どもを授かり、その後もバンバン産み続けてエライことになっているパターンが多い。するとその子たちも親と同じような人生を歩む傾向があると思う。もちろん若くして子を成すことは悪いことじゃない。
ただ全ての子がが親の特性を踏襲するはずもなく、学業優秀な親のもとに生まれてたのに勉強もせず引きこもる者もいるし、親に似ないで学業優秀なものもいる。
そんなことであれこれ思い悩んでいるのは人間に生まれたからである。そして自らの意志で人間に生まれた人はいない。
「親ガチャ」以前に「何に生まれるかガチャ」ではないか。
もしハエに生まれていたら、学費がなくて大学に行けないなんて悩まない。
もしケセランパサランに生まれていたら、停職につけなくても悩まない。
もし消波ブロック(通称テトラポット)に生まれていたら、彼女ができぬと悩まない。
人間に生まれたからこそ親のせいにしてあれこれ苦悩することができるのだ。
そう考えれば人間として生まれただけで感謝せねばと思うのである。消波ブロック(通称テトラポット)に生まれるよりは絶対いい。
親から受け継いだまとわりつく特性は撥ね除けることだってできるかもしれないじゃないか。