射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

職人の時代ふたたび

音楽を生業とする人を「アーティスト」と呼ぶようになったのはいつからだろう。
80年代は、歌手、アイドル、シンガーソングライター、バンドマン、スタジオミュージシャンなどそれそれの職能に応じて細かく分かれていたように思う。
それぞれが職人であったのである。それがいつの間にやら、まとめてアーティストになった。ネットで音楽を発表する人達は職人であったが、最近はアーティスト扱いになったと思う。
おまけに洋風盆踊り女性アイドルグループ軍団までアーティストである。
アーティストという呼び方もお安くなったものである。

山下達郎は職人である。「アルチザン」(フランス語で職人という意味)というアルバムを出しているくらいだ。自分は商業音楽家でいわゆるアーティストではないという自負があるのだろう。ジャニーズからチャート1位を求められ作った昭和歌謡のエッセンスを詰め込んだ「硝子の少年」はみごと1位を獲得した。職人のなせる技である。

先日亡くなった劇画家のさいとう・たかをは自分は職人だといっていた。天才は自分の感性だけで作品を創り認められるが、自分はそういうものではないと。

漫画の世界でいうと、アーティスト系が手塚治虫や石森章太郎などで、職人系がさいとう・たかをや横山光輝であろうか。実際の創作の部分では重なり合う部分が多いので乱暴な分類であるが、一般的な認識ではそうだと思う。

なぜか職人系漫画家は評価が低い気がする。
さいとう・たかをはゴルゴ13が代表作だが、床屋に置いてあるおっさんの暇つぶしのための漫画と思われている。
横山光輝は、「鉄人28号」「バベル2世」「魔法使いサリー」などなど記念碑的な作品を量産したとんでもない漫画家なのだが、知名度はイマイチである。
手塚治虫の評価が高すぎるというのもあるが、なんとも不思議である。

まず高度成長期において職人を低く見るようになった。文芸的であったり前衛的であったりするゲージツ家を尊重するようになった。その流れは続き、90年代には自分探しや個性の探求が職人否定の風潮をさらに後押しすることになったと考えている。

もう音楽も漫画も新しいものは出にくい時代になった。すると今あるものをどう組み合わせるか考える時代になるだろう。そうなると自分の感性に頼るアーティストより、職人の方が有利だろう。近いうちに、ふたたび職人の時代になると思う。