射手座のひとりごと

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

京王線刺傷事件 常識的な犯罪者

京王線で事件である。
上りの特急の車内で、男が乗客の男性を刃物で刺し放火、他の乗客は逃げ、停車したあと窓から逃げ出す様子が撮影されテレビで放送された。生々しい映像である。刺された男性は重体だという。まったくお気の毒である。

容疑者はバッドマンの悪役ジョーカーの格好をしていたのだが、ハロウィンにちなんだものではなく私服であるという。しかし同じ格好をしてハロウィンで混雑する渋谷の交差点に出没しているので仮装であろう。

容疑者は逮捕されおとなしく取り調べに応じているという。

容疑者は「仕事を失って嫌になった。2人以上殺して死刑になりたかった」「ハロウィンなので人が沢山乗っていると思い電車を狙った」などと供述している。

容疑者はいたってまともである。発言に筋が通っている。
しかも「人を殺して死刑になりたかった」という言葉はこの手の犯罪者がいう典型的なテンプレである。かならずといっていいほどこの言葉を言い、そしてマスコミが広める。本当に死にたいわけではない。本当に死刑になりたければもっと殺しただろう。
この容疑者はマスコミの情報をきちんと吸収しているし、犯罪者としての常識をわきまえているといえる。

精神鑑定などせず粛々と厳罰に処せばよろしい。理想は本人のお望みどおり死刑にしてやればいいのだろうが、罪の重さを勘案するとそうはならないだろう。

ここで考えてしまうのは、本当に死刑を望んでいる犯罪者を死刑にする場合、罰にならないのではないかということである。これでは死刑が抑止力にならないのだ。
そして大量殺人事件などの場合、1人の犯罪者を死刑にしても、釣り合わないだろうとも思う。おまけに死刑も人権を尊重されて行われる。犯罪者としての人権はあるからだ。
もろもろの結果、死刑制度が抑止力になりにくくなっていやしないか。ならばどうすればいいか。

死刑より重い刑として「人権剥奪刑」を作ればいいと思う。
たとえば、手足を切り落として自殺できないようにした上で一生監獄に閉じ込めるのだ。絶対に死なないようにして世話はする。残酷でしょう。
しかし確実に犯罪の抑止力になる。

殺人事件においては殺された被害者の人権は消えてなくなり、犯罪者の人権のみが守られる。その道徳的矛盾も解消されやすくなる。

古代の刑罰にもそれなりに理があったということである。
仮に「人権剥奪刑」をつくるなら死刑を廃止してもいいと思う。当然死刑廃止論者も賛成してくれるだろう。