射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

「やってる感」で満たされて

朝起きて洗濯をする。
コロナの影響で出勤時間が遅いので時間はあるのだ。
洗濯機に洗剤を投入してスイッチを押し待っていれば洗濯は終了する。あとは干すだけである。考えてみると昔は川に洗濯に行っていたのだ。そこで洗濯板を使ってゴシゴシ洗い、水をしぼったのである。
掃除も昔は箒で掃いていたものが、掃除機で楽々である。水も汲みに行く必要はなく、捻るとジャーである。かまどで火を起こす必要もない。
大概のことは機械化された。家事は簡便になり「やってる感」で満たされる。
特に生活で困っていることがあるわけではないのだが、なんか虚しさを感じることが多くなった。生活感がない気がするのは、コロナで極めて単調な生活になったせいかもしれない。

ウクライナを舞台にロシアと西側諸国が揉めている。第三次世界大戦の始まりかと騒ぐ向きもある。この騒ぎも「やってる感」が溢れている気がしてならない。
ロシアはNATOを相手に譲らず強硬姿勢に出ている感を出し、アメリカなどの西側諸国はロシアが脅威なんです感を出し、ウクライナはロシアが攻めてくるぞ感を出している。
哀れドイツは板挟みです感を出している。
このお互いの「やってる感」が積もり積もって本格的な戦争となったらいい迷惑である。いつの世でも戦争はそんなことで始まるのかもしれないけど。

機械化された情報化社会では、家事も戦争も実感や関係性が希薄にになるし、文明は後戻りできない一方通行の道をひた走る。

コロナで人と会う機会は減った。
今はオンラインで繋がることができるので仕事でも問題はないかもしれない。しかし人が実際に行き来をし、顔を突き合わせて話をする方がやはり実感がある。何が変わるわけではないかもしれないが面倒くさいプロセスを踏んだ方がいいこともあると思うのだ。