射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

ノーマスク運動は市民運動の敗北を象徴している

新型コロナでマスク着用は「国民の義務」となった。通勤電車でも皆マスクをしていて使用率はほぼ100%。日本人って凄い。僕も外出の際はマスクを使用することが当たり前となった。従順な良き国民なので。

とはいえ、いつまでもマスクを外せないのはイヤだなと思う。コロナ対策においてマスクが一定の効果があるのは確かなんだろう。そこに疑いがあるわけではない。

しかしマスクの効果を訴える意見には、マスクが新型コロナ対策以外にも効果があるというものもあり、気管支系の疾患や普通の風邪が激減したという。おそらく花粉症予備軍にもなんらかの効果はあっただろう。そうなると話が少々違ってくるのではないかなあ。

マスク生活を続けることで空気中の雑菌やウイルスが入って来にくくなり、人間の持つ免疫機能が弱体化してゆくのではないかと思う。特に育ち盛りの子供たちの将来に大きな影響があるのではないかと考える。このままでは生物として不自然になってしまうのではないかとも思う。

一部のアジアを除く世界では新型コロナとの共存を選んでいる。
個人の権利を大事にする欧米では元々マスク着用は徹底されていなかったが、さらにノーマスクという「普通」に回帰している。
対して日本は個人が個人の権利を主張せず集団の利益を尊重する。まあそこが日本人の良さではある。平和で安全なディストピア。
このまま数年後、世界の中で日本だけがマスクをやめられない国になったら面白い。

この「公」を大事にして「個」を捨てるという動きはコロナ禍で大きなうねりとなって顕在化したように見える。

コロナ禍の1年目には通勤電車でもマスクをしていない人が数人はいたが今ではノーマスクはありえない。もしノーマスクで公共の場にいたらその人の思想信条は関係なく「陰謀論者」だと思われてしまうからだ。

一部には過激なノーマスク運動を行う団体もあるようだ。だいだい反ワクチンとリンクしており、中にはQアノンだのディープステートだのは荒唐無稽なトンデモ陰謀論に染まる者もいるという。こういった運動団体のせいで本来濃淡あるはずのノーマスク運動や多様な意見までもが白眼視されてしまうというオマケ付き。

しかしアホなノーマスク運動であっても、かつて賛美されていた「市民運動」である。

マスコミやリベラル言論人は、安保反対を叫んで火炎瓶とゲバ棒で機動隊と戦争ごっこしたり内ゲバで仲間を殺したりした全共闘運動を批判しないし、オウム真理教を評価していた。そして自衛隊や米軍に殺されると基地反対を叫ぶ活動家を陰謀論者とは言わない。

ならばノーマスク運動も「市民運動」としての側面は評価するべきなのだが、そういう人はいない。かばう者もいない。こうなるとリベラルな市民運動の敗北といえる。

日本は「個」や「市民」を捨てて「国家全体主義」になりつつあるなあと感じる。コロナやウクライナ戦争が炙り出したリベラルの敗北ともいえるのでしょう。