長引くウクライナ戦争により、日本でも様々な価値観が変化しそうな感じである。
憲法9条に象徴される観念的な平和主義は力を失い、少し前まで批判の対象であったリアルな現実主義が幅をきかせるようになってきた。左派の人文系は沈黙しているに等しく、保守主義者に場所を明け渡しつつある。
長いこと批判の対象であった保守系の論客の復讐が始まったかのようである。1億総「小林よしのり化」も近いかもしれない。
今までタブーであった核の議論ですら解禁されそうな勢いである。
ウクライナが核を放棄したからロシアに侵略を許す結果となった、ウクライナが核を持っていればロシアは報復を恐れて侵略を思いとどまっただろうという「核抑止」論が叫ばれ、日本も核保有について議論を始めるべきだという。
僕は「核抑止」は有効ではないと考える。1発の核兵器が使用されたら最後、報復が連鎖し世界は終わるという冷戦時代の古い考えに立脚しているからだ。いまは核に変わる大量破壊兵器も数多あるし小型核もある。威力の抑えられた核ミサイルを威嚇として使用する場合、「抑止」は働かないだろう。そうは言っても核について議論すらしないというのは怠慢でしかないが。
ウクライナ戦争でNATO諸国は、抜け道だらけの経済制裁を行い、武器を間接的に支援しゼレンスキーを引かせない。
実際にドンパチしなくても、外交戦争や経済戦争そしてもっとも苛烈な情報戦争も各国の利害関係の中で行われていて、関わる国は戦争当事国である。日本も例外ではない。もう参戦しているのである。
ゼレンスキーに代表される各国のリーダーもまるで戦時下の振る舞いである。力強くメッセージを発し、高揚感が伝わってくる。
さて我が国のリーダー岸田総理はどうか。
総裁選では「聞く力」をアピールし「政治は全員野球」と協調性を売りにして、可もなく不可もない無難な始まり。その後も大きな失点はないが成果も見えないという感じ。頭はいいんだろうけど、器が小さいというか、答弁も何をいっているのかよく分からない、北朝鮮がミサイルを連発しても、遺憾砲を遺憾なく連発する。「新しい資本主義」とは……、なんだか分からない。
記者会見も下を向きながら原稿を見てぼそぼそ喋る様は「小役人感」にあふれている。元俳優として巧みに世界に訴えるゼレンスキーとは大違いである。しかしNATO諸国の経済制裁に素早く同調し、連帯のメッセージも速やかに出している。少ないとはいえ難民の支援も着手した。しかし評価されない星の下に生まれたのか。
今は戦時下ともいえるわけで、そういう時はスピーチが上手く、力強いポピュリストが求められる。その究極は、民主主義が生んだ独裁者アドルフ・ヒトラーであると考えると、日本のリーダーは地味な岸田総理なので安心である。これからも慎重に地味に事を運んで欲しいものである。
ポピュリストではなく地味で小役人っぽい行政の長たる総理大臣がトップに立ち、それで平穏であるのが日本の強みだと思うのである。