北海道知床半島の海で乗客・乗員26名が乗った観光船が行方不明となっている。
沈んだものと思われ、現在乗客のうち11名が見つかり死亡が確認されている。酷いことである。
最近事件事故が起きても、なかなか関係者や被害者の名前が報道されない。プライバシーや人権に配慮しているということだろう。
行方不明となっている船長の名前は早くに公表された。
被害者・行方不明者の家族に対し不誠実な対応をしたとされる運航会社社長の名前は直ぐには公表されなかった。マスコミ向けの記者会見を行う際に明らかになったが、船長名前の公表と比べると数日のタイムラグがある。
船長はおそらく死んでいるからである。現在行方不明となっている人達の生存も望みは薄く、流され見つからない可能性もある。
こうなると船長の罪は問われない。死んだ人の人権に配慮する必要もないからだ。
最高責任者である桂田精一社長は今後罪を問われることになるだろうし、社会的制裁も受けるだろう。しかし彼は生きていて人権があり、その点において公的には配慮され守られるのである。
現在の刑法では桂田社長は死刑にはならない。20名以上の人を殺したことと、おそらく10数年刑務所で暮らすことが等価なのである。遺族の怒りややるせなさは計り知れない。
評論家の呉智英によれば「死刑」は基本的人権に背いているという。それは死刑が残酷だからとか人道に反するからなどの理由ではない。人間が本来持っている権利である「復讐権」を国家が取り上げているからであるという。
この事故の被害者は、社長を殺したいだろうと考えているだろう。当然である。
しかしそれは人権思想や近代国家のルールとやらでかなわない。これこそ重大な基本的人権への侵害ではないか。加えて「基本的人権」というイデオロギーは自身を疑う機能を持たない点で大いに問題があるのだ。
これは「民主主義」も同様である。