第二次大戦は連合国(United Nations)と枢軸国(Axis powers)との戦いであったが、その大戦の戦勝国により結成された国際組織がUnited Nationsである。
日本語では「国際連合」と訳されるが誤訳といってよい。United Nationsなのだからそのまま「連合国」である。強いて言えば「連合国連合」でもいいか。
要するに第二次世界大戦の戦勝国が作った国際組織であり、つまり第二次世界大戦は終わっていないということである。
ウクライナ問題を受けて機能不全に陥っているとされる国連安全保障理事会であるが、そもそも国連そのものが戦勝国の利害関係を調整するためのものである以上、どうにもならない。
それにつけても国連に希望を託したがる人が多い。特にリベラル側に。
共産党なんかはロシアを批判する理由として「国連憲章に違反している」ということをやたらと強調する。まるで国連憲章が人類共通の金科玉条であるかのようである。
日本国を形作る概念や統治機構より、国連や国連憲章の方が上位概念であると考えているとすれば、なんとも共産党らしい。
国連の安保理が機能不全に陥っている原因として、常任理事国の拒否権の問題がある。
国連に期待する勢力は、拒否権問題さえどうにかすれば国連は立派に機能し世界平和が実現するかのようにいう。
しかし常任理事国は核保有国でもあり、国連が保障する世界平和は、恐るべき力によって均衡が保たれたものでしかない。そのような国連になにを期待するのか。
かつて国家間の枠組みや国境線は溶けてなくなり、人類みな地球市民となって争いのない平和な時代が来ると一部の人たちが考えていた時代があった。その際には国連が「世界政府」となる予定だったわけだ。加えて国連に期待することはナショナリズムの否定につながり、知的で進歩的だった。
しかし残念なことに国連は単なる戦勝国の互助会である。