射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

カルトと非カルトは何がちがうのか

旧統一教会の問題が出てから「カルト」への風当たりが強くなっている。そして「カルト」と名指しする場合、そのほとんどが「新興宗教」を対象としている感じがある。

もちろん法外な献金・お布施や高額な美術品などを買わされたりするような被害があることが問題なのだが、新興宗教はみんなそういう悪事をやっている前提である。

オウム真理教が思い出される。
始めは熊みたいなお茶目なオッサンとその取り巻きがテレビのバラエティ番組で人気者だった。麻原が空中浮遊をしたり若いインテリの幹部の言動が受けたり、まさに時代の寵児だった。当時の文化人はみなオウム真理教を新しい若者の進むべき道として持て囃した。その後の松本サリン事件が起きたが、メディアはオウム真理教の側に立ち冤罪事件の片棒を担いだ
最終的にオウムが様々な非道行為、そしてサリン事件を起こし、ロシアからの軍事ヘリコプター調達すら明らかとなり完全にオウムは「犯罪集団」となった。
オウム真理教は真に恐ろしいカルトになったわけだ。

対して統一教会はどうか。
思想的には少々古い保守で、献金や高額の美術品を買わされたりするらしい。高額の献金をして家庭が崩壊することもあるらしい。身内にそんな人がいたら困り者である。しかし好きでやっているのだよね。好きで宗教にダマされる自由だってあるはずである。

統一教会を擁護しているわけではない。
しかし現在の実情は一般的な新興宗教やマルチ商法のそれと同じで、個人の権利の上では「お好きにどうぞ破滅してくださいな」としか言えないのではないか。

カルトカルトと言うには少々小粒すぎると思うのである。

キリスト教を見よ。
血みどろの歴史を持ち多くの宗教戦争と内紛を起こして、有史以来どれだけの人命を奪ってきたか。

イスラム教を見よ。
入信したら棄教できないぞ。死罪となる。あの世に行ってからが本番で現世は仮の姿。異教徒は殺してもいいのだ。

仏教を見よ。
お盆になると死んだご先祖様がナスに乗って帰ってくるのだぞ。

みすず学苑を見よ。
ヤマトタケルとか宇宙人とかカッパが怒涛の英語を個人指導だぞ。

共産主義を見よ。
以下省略。

世界はカルトであふれているじゃないか。

これでは、どこまでがカルトでどこまでが非カルトなのか、判断は困難である。そして信教の自由が関わる以上、憲法の問題でもある。ここから目を背けてはいけないのである。宗教の規制は憲法違反となる恐れが大いにあるのである。立憲主義の限界を確認する良い機会なのだ。