射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

マスクの国ニッポン ノーマスク ノーライフ

エリザベス女王の国葬で話題になったのが天皇皇后両陛下のマスクである。
日本を立つ時は普通に白いマスクをされていたが、英国に着いたらシックな黒いマスク、国葬本番は透明マスクと見事な使い分けであった。おそらく日本と英国のマスクへの認識を天秤にかけて宮内庁が考えた結果なのだろう。なかなか粋な演出であったように思う。

エリザベス女王の国葬では、参列者も沿道の市民もベッカムもマスクをしていない。かといって完全にコロナを封じ込めているかと言えばそんなことはなく、英国の医療は崩壊しているともいう。コロナ前からとっくに崩壊していたという意見もあるが。極端なコロナ対策はやめ個人の権利尊重に舵を切った形だ。ゼロコロナを目指すと中国の二の舞となる。

多くの先進国では感染者数の把握を止めた。しかし日本では今だに午後4:45に速報が流れる。ワクチンの4回目接種が推進される。そしてマスクを外す人はほぼおらず、もうマスクをしないなんていわないよ絶対な状況である。

マスクになんらかの効果があることは分かる。しかし「進め一億マスクの国日本」でもコロナ第7波が防げなかったように、マスクの効果は絶対ではない。
とはいえ、まだまだマスクへの認識に変化は無く日本人はマスクを着用し続ける。

もはや科学とか医学ではなく、公を優先し個を滅する日本人の性質が根っこにあると思う。これは変えようがない。コロナとの共存やむなしなら、せめてマスクはさせろという国民の切なる願いとも取れる。

解決策としては天皇皇后両陛下が英国女王の国葬にあたり使用された透明マスクを量産化して「キシダマスク」として配布するのはどうだろう。これならノーマスクの外人と対峙しても問題ないし、海外から白い目で見られることもない。フォーマルでマジェスティーでロイヤルな場でも違和感はない。

そしてこの画期的商品が例の猫型ロボ的なテクノロジーの塊であろうが、ある種の概念であろうが些細なことである。

うまくやればおいしい利権が生まれるかもしれない。岸田さんご検討を。