気鋭の劇作家・演出家として知られていた谷賢一氏がパワハラ、セクハラ、強姦の疑いをかけられ表舞台から消えた。プロフィールで「演劇悪魔」と自称していた自身のツイッターも更新が止んだ。
谷氏の才能を高く評価し、その「福島三部作」の岸田戯曲賞受賞に力を貸し、福島での演劇活動に協力してきた作家の柳美里は責任を感じたのか谷氏を断罪し、その行いを強く批判している。大体の演劇人は岸田総理よろしく静観の構えだが。
それにしても被害女性のおっぱいを偏愛する言葉が並ぶメッセージアプリのスクリーンショットまで効果されてしまったのだから目も当てられない。演劇村の演劇人はおっぱい星人であったのか。
恐ろしいことに相変わらず大手マスコミはダンマリである。俳優の香川照之のスキャンダルとは大違いである。
原発事故を題材にした「福島三部作」は高く評価された。そこにはジャーナリスティックな視点があり、福島に住む人を襲った大いなる不幸の記憶が薄らぐなか、十分に意味のある作品だったのだろう。ただしかし人の不幸で飯を食う人間はより自分に厳しくなければならない。少なくとも表に見える形で反道徳的なことをしてはならないのである。
谷氏の演劇人としての道は絶たれたと言って良いが、復活を期すならいっそのこと自身を題材にして「おっぱい三部作」でもやればいい。女優は全員トップレス、男優も全員トップレス。これなら差別にはならない。
もともと小劇場なんて露悪的でデカダンでアングラで前衛ではないか。畳の上で死のうなんて思っていないだろうな。
それが公明正大な態度で善を擬態し、公金をせしめて偉そうにするから反感を買うのだ。
しかしもし演劇業界が公明正大で健全な業界になりたいのなら、関係者の末端まで契約書を交わして「仕事」とするべきである。
たとえば俳優として公演に参加するとして、稽古場にどれだけ通うのか、ギャラはあるのかチケットノルマはあるのか、暴力や暴言やハラスメントをうけることはないか、きちんと契約書に文書で書き込むことが必要である。欧米では役者や演出家が一対一で話をすることを禁じることが契約書に記されるのだ。
インボイス制度も始まることだし、請求書や契約書を交わすことを当たり前にするべきだと考える。それが演劇のある種の魅力を削ぐことになっても。