旧統一教会の信者数は公称で60万人ほどらしい。
しかし岸田政権が検討している旧統一教会への解散命令に反対するため信者が提出した嘆願書の署名は2万3千人ほど。
積極的に活動している信者はせいぜい3~4万人ぐらいと推測される。当然、1箇所に固まって住んでいるわけではなく、中には選挙権をもたない子供も含まれる。
つまりは選挙に大きな影響を及ぼすほどの勢力ではない。旧統一教会と自民党との癒着はたしかにあるわけだが、現在の日本は統一教会に牛耳られているとなると、もはや陰謀論の類である。
旧統一教会と自民党の政策や主張が一致しているというが、旧統一教会の主張する家族観は昭和の日本では一般的なものである。日本で活動するにあたり当時の日本の常識を取り入れたに過ぎない。それがそのままアップデートされずに一部の政治家とともに古びたのである。
合同結婚式や霊感商法は傍から見ればカルトである。しかし信者にとっては信じるに足る教義の実践であるかもしれないし誇らしい行いかもしれない。人権思想的にも本人がいいならそれでいいのである。
それに親がエホバの証人や創価学会やモルモン教やフライングスパゲティ教などの信者であっても、子供は生まれてくる親を選べない。まあ親ガチャである。それを不幸と取るかはその人次第である。そんなわけで宗教を極端に規制できないというのが「良識」ではないか。
それに古今東西、宗教のカルト性を指摘したらきりがない。
まずイスラム教に入信したら棄教できない。棄教は死刑である。
反イスラム的とされた「悪魔の詩」が出版されたときイランの最高指導者ホメイニ師は作家や出版関係者の死刑を宣告した。そして日本語に翻訳した筑波大学の五十嵐助教授は大学のエレベーターホールで殺害された(犯人・動機は不明で時効が成立)。
ムハンマドの諷刺画を書いたフランスのシャルリーエブド紙のオフィスはイスラム過激派に襲撃され12人が死亡した。
イスラム教は旧統一教会もびっくりのカルトではないか。イスラム教を国教とする国は勝手にすればよろしいが、他国が受け入れるには慎重に行う必要がある。ヨーロッパの二の舞はごめんである。
しかし日本のメディアは信教の自由や多様性賛美を錦の御旗にしてイスラム教には寛容である。「イスラム」というと怖いイメージがあると考えているのか「ムスリム」と言い換える。「朝鮮人」と言いにくくて「コリア」と言い換えるのと一緒である。左翼メディアはイスラム教徒を受け入れろとプロパガンダにご熱心なのだ。
ならばイスラム教と比べれば平和的な旧統一教会にも寛容であるべきなのだがそうはならない。
イスラム教は左翼と親和性が高い。民主主義国家にとってはどちらも反対制で利害が一致する。旧統一教会を糾弾する行為も左翼と親和性が高い。現与党への攻撃となるからである。
なりふり構わず行われる旧統一教会への攻撃は、憲法の理念や社会常識を無視して行われている。こんなメディアが「憲法を守れ」と合唱するのだから始末がおえない。
旧統一教会問題は表面的なワイドショーのネタとして提供され消費され、その背後にある勝共連合の存在については触れなくなったのは一種の目くらましかと思う。
蛇足だが、意外なことに日本弁護士連合会(日弁連)は旧統一教会の解散命令問題に距離を置いている。かつて日弁連は坂本弁護士一家殺害事件があったにも関わらず、基本的人権や信教の自由を侵害するとして、オウム真理教への破壊活動防止法適用に反対の声明を出している過去があるからだ。