空転日記

はばかりながら はばかる

肌が黒いとだめなのか

朝のニュース番組で、日本におけるマイノリティの「生きづらさ」を特集していた。印象的だったのは、黒人と日本人の混血の少年が肌の色などの違いから、日本での「生きづらさ」を訴えていたことだ。

娘が小学生のころ、1学年に1人くらい黒人の血を引く子がいて、行事などで学校にいくと褐色の肌の子を見かける。それは普通のことで子供達はなんとも思っていない。けんかもあっただろうし、いじめもあったかもしれないが、それは肌の色や人種によるものではなかったと思う。

ニュースに出演していた日本生まれの混血の少年は「なんで肌の色が黒いの」とか「親は何人なの」とか聞かれるのがイヤだという。僕は疑り深いので、ニュース番組の演出で無理に言わされていると思った。

肌の色が黒いのはただの個性であり、周りの子どもがそれを指摘するのは「背が低いね」や「顔カワイイね」とか言うのと同じである。差別する気持ちからではない。大半の子どもは純粋だ。「なんで肌が黒いの?」というたわいのない質問を「差別」だとするのは一種の思想統制であり行き着くところはファシズムだ。

大人は違う。もし日本人がアフリカの黒人国家に行き「何で肌の色が黄色いんだ」と聞かれたら差別とは思わない。だがフランスに行き中国人と間違われると不愉快になる。中国人を差別しているからだ。

「大人の差別心」につけこみ、利用する輩が商売目的で世を憂いて「生きづらさ」も作り出しているのだ。そういうファシスト予備軍がたくさんいる。