空転日記

はばかりながら はばかる

産経新聞の販売網縮小は全国紙の終わりの始まりか

産経新聞が「全国紙」をやめるという。販売網は首都圏と関西圏を残し、地方からは撤退する。他の全国紙にもじわじわ影響するだろう。

そもそも日本の新聞を支える「宅配制度」が特異なものだ。海外では新聞は店に買いに行くもので、わざわさ家に届けてくれたりしない。日本では、毎日毎日膨大な量の新聞を刷り、トラックで運び、販売店から各家庭にとどけるのである。            

とんでもない巨大ネットワークが作られ、購読料のほとんどはそのシステムの維持に使われているのである。良質な記事を作るためには使われない。記事は通信社や記者クラブによる談合によって効率よくシェアされているから。

このインターネット時代に資源の無駄遣いでもある。木を伐採して紙をつくり、化石燃料つかってトラック、バイクで配るのである。少なくとも紙面で地球温暖化について語る資格はない。

営業も問題だ。新聞拡張員が身に覚えのない手書きの契約申込書を持ってきて押し売りをしてくるなんていうことがあった。勝手に契約しすでに報酬をもらっているのである。「てんぷら」というやつである。こんなことを黙認して大手の新聞社は成り立っていたのである。

「アカが書き ヤクザが売って バカが読む」友蔵こころの俳句である。

そして公には誰も言わない最大のタブーが「押し紙」だろう。全流通量の30%が「押し紙」とする説もある。読者数が水増しされているとしたら、紙面の広告料は割高なものとなる。スポンサー企業もそろそろ動くだろう。無駄な量を押し付けられる販売店は大赤字なんだが、新規契約のロイヤリティと折込チラシでどうにかやっているのである。  

新聞業界は販売網や広告などで巨大なインチキ産業になってしまって、方向転換できないまま20年無駄にしてしまった。

地方紙はどうか。徳島新聞が地元の財界と結託し阿波踊りを私物化していることが公になり話題となった。もはや新聞社ではない。

大手新聞社は海外から貴重な美術品や絵画を持ってきて美術展や絵画展を主催する。そうすると他の新聞社は黙殺しその価値に触れることはない。新聞にだって文化欄があるのにである。新聞社なんて広告代理店と結託した只のイベンターなんである。

つぶれてよし。