射手座のひとりごと

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

平沢進「Virtual Rabbit」と高畑勲「かぐや姫の物語」

平沢進に「Virtual Rabbit」というアルバムがある。1991年発売のソロ3作目である。モチーフは「ヴァーチュアルラビット」とした「月のうさぎ」で、アポロ計画などの科学技術により、おとぎ話や神話が失われていく様を表現している。アメリカに対するかつての羨望と、世界を軍事力や科学技術で支配し歴史や価値観まで変えてしまう、そのやり方への批判が込められている。

その中に「死のない男」という曲がある。「科学の発達で不死となった男の悲しみ」がテーマと思っていた。しかし、月のうさぎが搗いているのは餅ではなく、不老長寿の仙薬であるという言い伝えがあると知り考えが変わった。

「死のない男」は宇宙飛行士で、月に行ったがために不死になってしまたのだ。神話や言い伝えの世界に土足で踏み込んだ罰を受けた。アポロ計画で月に行った宇宙飛行士が帰還後、宗教にのめり込んだり、精神異常を起こしたりした事実をほのめかしているのかもしれない。

宇宙とか、深海とか、地球の深部とか、科学の力で知りすぎないほうがいいのだ。

もう一つ、月のうさぎは不老長寿の仙薬を搗いていると知り考えを改めた映画がある。

高畑勲監督の「かぐや姫の物語」だ。

「かぐや姫の物語」は竹取物語という日本が誇るSFファンタジーを「女の生きづらさ」や「男はバカだねえ」といった現代的なテーマにまとめた、つらならい作品と思っていた。

だが見方が変わった。 月の住人は不老不死で万能で清廉な、神のような存在なのだ。かぐや姫も不老不死だ。かぐや姫を迎えに来る雲に乗った一団は感情がない。死なないのだから生に執着して怒ったり泣いたり感動したりせず生きている。不老不死はある意味死んでいるのかもしれない。死後の世界だ。

対する地上の人間は欲にまみれた穢れた存在で、逃れられない「死」を前にしてみっともなく足掻いているの。そのかわり感情が豊かであたたかく、不器用ながら生を謳歌している。

「かぐや姫の物語」は、地上に降ろされたかぐや姫を通して、不老不死の世界と対比させることで、人間の営みの素晴らしさを浮き彫りにする「人間讃歌」なのだ。そうするとかぐや姫に求婚する男どもの行動や、御門のアゴや捨丸も愛おしく見えてくる。

もう一度借りて観ようと思う。