射手座のひとりごと

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

大江千里の名盤「1234」の呪縛

大江千里の代表作といえば1989年発表の「1234」をあげる人が多いだろう。発売当時中学制であった僕も夢中で聞いた。当時バンドブームの始まりのころでボウイやレベッカなどが流行っており大江千里を聞く人は少なかった。したがって肩身が狭かった覚えがある。うん非常に狭かった。

「1234」はヒットした「GLORY DAYS」や他のシンガーにカバーされた「Rain」そして超名曲「消えゆく想い」などが収録されており、初期の繊細でどこか頼りない歌声もフックの聞いた力強いものになっている。前作「OLIMPIC」の振り切れたようなポップ路線を継承しつつ、文学的で内省的な歌詞がバブルに浮かれていた世相に相対するものになっている。

「Rain」は槇原敬之や秦基博によってカバーされている。はっきりいってどちらも大江千里より歌はうまい。しかし槇原版はしとしと降る雨、秦版は音もない霧雨と言った風情で、大江千里の四角く不器用でしかし情念のこもった歌い方の方が断然いい。感情を表したような本降りの雨を連想させる。

名編曲家大村雅朗による音数の少ないソリッドな編曲もよい。ただ大村雅朗は洋楽のパクリが多いとされ、この作品でも「GLORY DAYS」がダリル・ホールの「Dreamtime」に酷似していると評されることが多い。今聞いても前奏がなんとなく似ているのは確かである。まあ当時はそんなものである。

「1234」初期の大学生が好むようなおしゃれなポップ路線から大人目線の音楽へと脱却する大江千里のターニングポイントとなるアルバムとなった。

しかし「1234」が成功しすぎて大江千里本人もファンも縛る作品になってしまったと僕は考えている。その後音楽性やスタンスを柔軟に変化させる大江千里にとっては呪縛のような作品とも言えるのではないか。「1234」以降何を出しても「1234」みたいなアルバムを求められるような感じだったと思う。

大江千里はジャズに転向してもう歌わないようだが、ポップ時代の名曲の数々が埋もれてしまうのはなんとももったいない。もっと多くのミュージシャンにカバーされて欲しいのだが。