大江千里。そのイメージはどんなものだろうか。エピックソニーの若手スターで、草食系男子のパイオニアで、バブル期のあだ花的シンガーソングライターといったところか。大学生活を舞台としたおしゃれなラブソングのイメージがあり、男ユーミンと呼ばれていた。俳優やったり本を書いたりもしたマルチタレントでもあった。そして硬派なロック好きからは嫌われていた。
中学生のときに大江千里を初めて聞いた。その第一印象は、ポップなラブソングを、おかあさんといっしょのキャラクター「ポロリ」みたいな声で歌う変な歌手。しかし聞くうちに取り憑かれるように好きになっていったのである。
なにが良かったのかというと詞が良かった。
「AVEC」という曲がある。歌詞を少し引用させて頂きます。
永い科学の迷いに身をくずした戦士かぼくたちは
ゆるめた蛇口 ケチャップのしみ きみと争ういくつかよ
リビアで午後はじまった戦争は争いじゃなく
隔たりじゃないよりそえぬ無邪気さのせい
現代人の苦悩や世界のありようと彼女との関係を同等に描写している。個人的なことと世界がつながっているのだ。そしてサビはこうだ。
生活と言う焦燥を人は皆捨てていくの
贅沢な80年代よ 愛する人をくじかせないで
恋愛の悩みと時代への警告がごちゃまぜになっていて、自分たちを取り巻く状況を文学的に描き出す。平和なバブル景気に踊り、大切なものと向き合えず、理解し合えず、そしてそこから逃げているという葛藤も見える。プロパガンダ的言葉と日常の風景が奇妙に同居している。すばらしい歌詞だと思う。
そして東日本大震災で原発事故が起きた時「永い科学の迷いに身をくずした戦士かぼくたちは」と言う歌詞は心に染みた。おまけに同時期にリビアでも内戦があったのだ。
「愛するということ」の歌詞も引用させて頂きます。
自由なんていらない 平和なんていらない
きみがそばにいればいい きみが全てになればいい
きみはもっと激しく絶望しろ
自由なんていらない 破片だけがあればいい
苦しくはかないほどの きみが全てであればいい
この詞を、たたきつけるようなアレンジで歌う大江千里には狂気を感じる。しかもこの曲の入ったアルバムのタイトルは「乳房」である。そしてこのアルバムは、時代のせいか音がくすんでいて、異様な迫力がある。これはユーミンではなく、中島みゆきである。僕は、バブルに浮かれず苦悩し続ける世界観にに大人の姿を感じたのだ。背伸びして。
大江千里は大学生のとき、トニオクレーガーというバンドを率い神戸のライブハウスで活躍していた。その時の映像が最近ユーチューブにアップされている。視聴して驚いた。そこにはまったくイメージが違う大江千里がいる。完成度の高いバンドサウンドで歌い方も力強い。そこで注目され大型新人としてデビューする訳だが、コピーライターだった林真理子が考えたファーストアルバムのキャッチコピーは「私の王子様、スーパースターがコトン」である。西郷どんもびっくりでごわす。こりゃトホホだ。しかもこのコピー間違えて「玉子様」と誤記されたと聞いたことがある。本当ならますますトホホだ。
大江千里のパブリックイメージはレコード会社によって作られた。エピックソニーは戦略を間違えたような気がするし、のちに大江千里もイメージを変えようと苦労していたように思う。ただ、メガネをかけた文系男子ポップスターのインパクトは相当のものだったし、後に続くミュージシャンに大きな影響を与えたと思う。
大江千里はオリコンで1位を取ったことがない。91年キャリアの絶頂期に「格好悪いふられ方」を出したとき周囲も1位が取れると期待したらしい。しかしそれを阻んだのが槇原敬之の「どんなときも」だ。
槇原敬之は大江千里の大ファンで後に名曲「Rain」をカバーしている。これがひとつの区切りとなり、時代が引き継がれたように思う。
今、大江千里は日本を離れジャズピアニストとしてアメリカで活動し、華やかな表舞台からは一旦退いた。もう歌うこともないだろう。しかしたくさんの名曲をファンだけで懐かしむのはもったいない。多くのミュージシャンにカバーしてほしいとも思う。
「APOLLO」とか「ビルボード」なんかいかがでしょう。