空転日記

はばかりながら はばかる

痛風になりたくないので薬を飲んだら痛風になった

令和元年12月、痛風になった。幸い痛みはそれほどではなかった。なんとか歩けるので仕事もこなせた。痛みは3週間ほどでなくなり、左足指の違和感はひと月ほどでなくなった。尿酸値も順調に下がっているので一安心。

納得できないのは、予防のため薬を飲んだら発作が出たことである。

 

20代から尿酸値が高く、健康診断のたびに「痛風になるから医者に行け」と言われた。

自分なりに体質改善をしたこともある。

プリン体が多いとされるピールをやめ焼酎しか飲まないようにしたり、カロリーの低い食事を心がけたり。完全に断酒したこともある。

半年断酒して臨んだ健康診断で尿酸値が上がっていた時はもう笑うしかない。

結論として、飲食物や生活習慣関係なくね?という思いに至るわけです。最近の研究では、尿酸は新陳代謝に伴う「排気ガス」のようなもので、自らの体で作り出される量は、飲食物から摂取するプリン体由来よりはるかに多いとのこと。つまり何してもだめ。

 

あきらめて病院にいって血液検査。尿酸値8.5を叩き出す。いつ発作が起きてもおかしくないと医者に言われ投薬治療を開始した。

薬を飲んで1日目、おや左足の親指に違和感が。そしてすぐに痛み始めた。

一般的に言われているほどの痛みではないにせよ、なかなか辛かった。

病院で聞いたところ、薬を飲んで急激に尿酸値が変動すると発作が起きることがあるらしい。

大した痛みじゃなくてよかったねガハハ、とのこと。

先に言ってよ!

 

反権力を気取りながら税金にたかる人々

 

以前、是枝裕和監督が「万引き家族」でパルムドールを受賞したあと、文化庁の助成金を貰っていたことを認めながら「公権力とは距離を保つ」と発言し賛否を巻き起こした。

しかし是枝作品は表現の自由を追求しタブーに挑むようなものではないし、福山雅治を主演にする平凡な商業作品も撮っている。テレビのディレクター出身らしく業界に受ける作品を作る監督と言うイメージがある。

そのような作風の人が反権力を気取るのは非常に違和感を覚える。しかも成功した映画監督であり、発言は多方面に影響を与える。是枝監督こそ権力の側にいる。

 

文化庁の補助金は映画だけでなく、さまざまな文化芸能のに支出されている。

能や文楽などの古典芸能などは補助金を出してでも守るべき文化的側面はあるだろう。

面白いのは共産党系の劇団なんかにも出ているのである。集団的自衛権の議論の時は「サイレントスタンディング」と称し、「戦争反対」「反アベ」のチラシを持って集団で駅に立っていたりした人たちである。

演劇関係者には文化庁の予算で海外に留学する制度もある。半年くらい海外に行って芝居を見たり劇場で研修をして、日本に帰ってきたら簡単なレボート提出したら終わりである。

そういった補助金や留学の制度を活用しておきながら、それは一言も言わず、表現の自由だの権力と戦うだの、恥ずかしくないのだろうか。

表現を追及したりなにかと戦おうとするなら、税金を当てにしちゃいかんと思う。説得力がまったくないし。最終的には国家権力に飼いならされてしまうじゃないか。自分たちで金を集めて好きにやればいいのだ。

そして表現の自由を叫ぶなら、その表現を批判する自由も認めてほしいもんだ。日本にはきちんとした評価や批評をするメディアはない。批判に晒される経験がないのだ。そうなると生温い制作環境となり、つまらんものであふれてしまう。ネットの意見を拒絶しないで多少は耳を傾けた方がいい。

 

そして「表現者」自身が自分たちに酔っている感じが不快である。主役はその表現とやらを見にくる「お客さん」であって、「表現者」はそれに奉仕する存在ではないのか。お客さんをないがしろにして許されるのはごく少数の天才であって、そんな人はほとんど見当たらない。

 

 

 

 

いだてん~スポーツと政治~

NHK大河ドラマ「いだてん」を見続けている。

しかし視聴率が振るわないようだ。原因は俳優陣の舞台劇のようなコミカルでドタバタした演技である。加えて語り部である「落語パート」が素人芸の域を出ず、落ち着いて見られる部分が少ない。これではお年寄りは離れてしまうだろう。

しかし大河では珍しい近代物で、幻に終わった1940年の東京オリンピックを取り上げている画期的なドラマである。割り切って楽しんでいる。

 

さて、ドラマではベルリンオリンピックが終わり、東京オリンピック開催まであと4年というところ。ナチスのプロパガンダを前面に押し出したベルリンオリンピックに対し、東京オリンピックをいかに「スポーツの祭典」とするか、登場人物たちは思い悩む。このあと盧溝橋事件を経て支那事変に突入し、東京オリンピックの開催は返上することになるのだが。

 

クーベルタン伯爵の有名な言葉に「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」というものがある。オリンピックの精神を表す言葉として有名である。

 

1908年のロンドンオリンピックで、ホスト国のイギリスと急速に力をつけてきたアメリカは犬猿の仲で、アメリカはイギリスから嫌がらせを受けたり、競技中にけんかになったりした。険悪なムードで、アメリカ代表からはオリンピックを途中でボイコットし帰国しようという意見も出たという。

 

そんな中、アメリカ代表は気分転換にセント・ポール大聖堂に出かけ、大主教から説教を受け、大いに勇気付けられたという。そのときの言葉が「参加することに意義がある」というもので、これをクーベルタン伯爵が知り、引用したという。

 

この大主教の言葉は、

「まあまあ、我慢ならんのは分かっけど、イギリスとケンカしてもアメリカのためにはならんから、我慢して耐えてつかあさい」

という趣旨ではないの?正々堂々と戦うというスポーツ精神を訴えるのではなく、国同士の関係性に重きを置いた「政治的発言」ではないの?

 

はじめからこんなもんである。

スポーツの国際大会なんて政治と切り離すことなんて出来るわけがない。

「政治とスポーツは別」。この言葉は政治から出るものである。

あらゆるオリンピックは、ヒトラーのベルリンオリンピックと大差はないのではないかと思える。方向性が違うだけである。

 

「いだてん」の登場人物、田畑政治はロサンゼルスオリンピックで金メダル至上主義を掲げる。真意を問われ「日本を明るいニュースで満たしたい」と言う。

これだってプロパガンダである。