手塚治虫の代表作「ブラック・ジャック」の新作が発表される。
膨大な量の手塚治虫作品を学習させた人工知能(AI)が原案を担当し、作画や最終的な仕上げは専門家によるプロジェクトチームが担当したという。まったくそんな面倒なことをしなくても田中圭一先生に書かせりゃいいのに。
皮肉である。
労働は機械にやらせ、人間は余った時間で豊かで文化的な活動に集中できる、というのが思い描いていたはずの未来予測ではなかったか。
実際は介護、運輸、清掃などのエッセンシャルワークは今だにに生身の人間が行なっている。しかも多くは低賃金で待遇も悪い。
なのに漫画原作やナレーターや広告タレントなどはAIにとって代わられようとしている。そのうち小説、脚本、戯曲、音楽、俳優などもAIで作成、供給可能となるだろう。
人間はやりたくないことをやらされ、やりたかったことを取り上げられるのである。これではディストピアではないか。
放送局や出版社にとっては、AIに創作させたほうが低コストで作品を生産できる。あらゆる文化芸術分野で、よほど個性と才能がある人以外は淘汰されるようになるのである。
アメリカでは俳優組合がストライキを行い制作側と合意した。争点の一つにAIがある。AIで俳優を作り出されたら商売上がったりである。ストライキを起こしたのはは当然である。
かたや日本ではクリエイターや文化人に全く危機感がない。全くない。
政府相手に愚痴を垂れ流している間にのっぴきならない状況に追い込まれるだろう。制作側はしめしめである。