射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

あんまり長生きしたくない

南米最高峰アコンカグアに挑戦していた三浦雄一郎さんが帯同する医師の判断で登頂を断念した。三浦雄一郎さんはとんでもない冒険家である。7大陸最高峰滑降に成功している。エベレストに登りスキーで降りるのである。正気の沙汰ではない。最近でもエベレスト最高齢登頂記録を3度に渡って更新している、正に超人である。ヘリをチャーターできる財力もすごい。老いてなお冒険に意欲を燃やすのは素晴らしいというか言葉が出ない。

三浦さんは別格としても、最近はお年寄りが元気である。いつまでも元気で健康で、気持ちも体も若く保とうとしている。まるで「老いてはいけない」という風潮があるようだ。

僕が子供の頃の認識では、人は30歳を過ぎたら立派な大人で、40歳を過ぎたら中年のおっさんおばさんで、50歳なんてじいさんばあさんだった。当時の大人がその認識に見合う成熟度だったかは分からないし、今とあまり変わらないかもしれない。しかし今とは社会の目が違い、それに影響を受けるものだ。

今はおっさんやおばさんになれないし、ならせてくれない。40歳ぐらいでもみんな若々しいし、60歳でも現役バリバリである。テレビをつけてもみんな若々しく年齢不詳である。そんな中で年齢に見合った年の取り方をしている人を見るとホッとする。男性だと阿部寛、女性だと和久井映見あたり。自然におっさんおばさんになれる感じが良い。若さゆえのカッコよさや可愛さをいつまでも売りにして引けなくなっているタレントが多い中で貴重だと思う。

日本人の平均寿命は終戦直後から30年も延びている。人生間延び時代である。長すぎるので早く老いるわけにはいかないのだ。ただ若さに追い立てられているようで、疲れてしまう人も多いのではないかと思う。

僕は早くおっさんになりたいのだがいつまでも若く見られてしまう。ハゲるのはイヤなので白髪が増えることを期待している。しかし黒いままである。そしてそんなに長生きしたくない。70歳になる前にポックリ逝きたいと考えていて、それぐらいならある程度計画的に人生を終えられるような気がする。寝たきりになって誰かに迷惑をかけながら生きるのはいやだ。

「死に方」は「生き方」と同様に大事なことだ。その上で人間は死に方を選べる権利があると考えるが「自殺権」を認めることはできないので、大変難しい。こういう問題を前にすると近代社会の枠組みでは解決できず、宗教や哲学が役に立つんだろうが、議論に加えられることはないだろう。

誰しも三浦さんのように、強靭な肉体と精神でアクティブに生きていけるわけではない。若さに追い立てられ長生きする分だけ、不安も増えている。