ETV特集「写真は小さな声である〜ユージン・スミスの水俣〜」を観た。 かつて水俣で生活し、水俣病患者に向き合い、その悲劇を世界に伝えたアメリカ人フォトジャーナリストのドキュメンタリーだ。
ユージン・スミスは第二次世界大戦で報道写真家として活動し、その後水俣病を知る。そして妻のアイリーン・美緒子・スミスとともに現地に移り住み取材活動を開始する。現地の人々と触れ合い酒を酌み交わし、患者やその家族とも心を通わせ、写真を撮り続けた。そして写真集「MINAMATA」をアメリカで出版する。番組では水俣で暮らしたユージン・スミスを知る人達が証言する。
写真集の中で、もっともセンセーショナルだった写真は胎児性水俣病患者の上村智子さんが母に抱かれて入浴する写真だろう。気になったのは、この入浴シーンを撮影する際「あえて」お母さんと共に入浴させたとの証言があることだ。写真での智子さんの体の見せ方などはその場で演出されたものだと想像できる。構図が出来すぎているからだ。
写真集は大変な反響を呼び世界中の人々の心を揺さぶると同時に、上村さん家族に向けられたたくさんの誹謗中傷の原因ともなった。この写真は後日、上村さんの遺族の申し出で封印されることになる。上村智子さんの父親は智子さんが亡くなったあとも、胎児性水俣病患者で作る団体の世話人をしている。「患者が全員死んだら、水俣病は終わるんですよ」と言う時の穏やかな表情が印象的だった。上村さんは水俣病に関わる全てを時間と共に終わらせたいと考えているんだと思った。
またユージン・スミスは田中実子さんの写真を1000枚以上撮ったが写真集には1枚しか載せていない。田中実子さんは言葉も話せず意思の疎通もできないが笑顔の可愛らしい女性だった。ユージン・スミスはその心中の悲しさや過酷な運命を表現したくて、笑顔の写真をボツにしたのだ。田中実子さんは存命だが、意識の疎通もできず感情も分からない。親族はユージン・スミスのことも覚えてはいないだろうと言う。
ユージン・スミスのような人がいてこそ悲惨な事件が世界に知られることになる。その意義は否定できない。しかしその写真は事実を切り取るものではなく、計算され作り込まれたイメージであり作品だ。
被写体の心の中なんて写真では分からない。構図や光の濃淡や先入観で見るものが勝手に想像しているだけだ。言葉もそうだ。人間の心のうちを言葉で置き換えたら違う物になる。ジャーナリズムの「客観報道」なんて存在しない。
ユージン・スミスもそれを自覚していてこんな言葉を残している。ウィキペディアから引用する。
「写真は見たままの現実を写し取るものだと信じられているが、そうした私たちの信念につけ込んで写真は平気でウソををつくということに気づかねばならない」
ユージン・スミスを「フォトジャーナリスト」と呼ぶのは抵抗がある。傲慢で罪深く、それ故に功績を残した、「フォトアーティスト」と呼ぶべきと思う。
この水俣病とユージン・スミスの物語がハリウッドで映画化されるという。語り継ぐべき物語であるから映画化され再び脚光を浴びるのは良いことであるが心配もある。ハリウッド映画はプロバガンダマシーンであり、ある種のイデオロギーや誤解や変なイメージが埋め込まれないかと不安になるのだ。そしてそれ以上の問題は、水俣患者や水俣病に関する事を終わりにして、そっとしておいてほしい、と考えている当事者たちもいるのだ。そういう人達を再び傷つけることはないかということである。