射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

「いだてん」面白いけど…。クドカン負けるな。「あまちゃん」の二の舞はさけよ

なぜここまで叩かれるのか。NHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」である。始まったばかりなのに視聴率は振るわず、「わかりにくい」「主人公がマイナー」「ついていけない」とけちょんけちょんである。近代物なので時代劇を望む固定ファンはそっぽを向いているという。

 

1964年の東京オリンピックに尽力した田畑政治と、1912年のストックホルムオリンピックに出場し「日本マラソンの父」と呼ばれた金栗四三の2人を主人公として、時代を行きつ戻りつ物語は進む。その語り部が古今亭志ん生という趣向である。まずは金栗四三の「ストックホルムオリンピック編」から始まっている。明治から昭和、そして平成(もう終わるけど)に繋がってゆく物語になるはずだ。ありきたりな時代物の一代記より面白いと思うのだが…。

 

「わかりにくい」という批判がある。たしかに主人公の視点で1話完結的に進行する物語と比べればわかりにくい。でもそんなに難しいとは思えない。慣れればすぐに「のれる」と思うのだが。わかりにくさを感じる原因はストーリーがではなく演技ではないかと思う。

クドカンの脚本は喜怒哀楽をはっきり表現しないことが多い。登場人物は悲しいのに笑っていたり、楽しそうなのに辛い状況だったりする。分かりにくいかもしれないがそこがおもしろく、モチーフにしている落語にも合う。わかりやすい演技は野暮でつまらない。達者な子役の表情豊かな演技なんてその極みである。お年寄りにはその方が良いのかもしれないが。

 

そしてやや構成が複雑なので録画してじっくり見たい人が多いだろう。そうすると視聴率というものは評価の指針にはならないので騒ぐのはやめた方がいい。どうせ電通とかの広告代理店の差し金だろうが。

 

クドカンの作品は「あまちゃん」しか見たことがない。当時、東日本大震災を正面から描いた作品はメジャーではほとんどなかった。そんな中、震災前と震災後の被災地や東京をテーマにした「あまちゃん」はすばらしい作品だったと思う。

 

その「あまちゃん」で引っかかるところがある。

僕は震災のシーンで宮本信子演じる「夏ばっぱ」は死ぬと思っていた。明らかにそのように物語は進行していたし、家の側に津波の碑があったり、震災前に夏ばっぱが携帯電話を持ったりと伏線も張られていた。しかし夏ばっぱは死ななかった。それどころか主要な登場人物の誰も死ななかった。想像だが、きっと人気のある夏ばっぱを死なせるなんてダメだと指示があったのではないか。

 

主人公アキの祖父である蟹江敬三演じる天野忠兵衛も変であった。仏壇に写真が飾られれ家族みんな忠兵衛は死んだものと思っていたのにある日、ひょっこりと帰ってくるのである。忠兵衛も本当は死んでいて、震災で死ぬであろう夏ばっぱを迎えに来たのだと思う。しかし夏ばっぱは死ななかったので、変なおじいちゃんで終わってしまった。

 

そしてドラマでは震災直後の3〜4話ぐらいで妙に話が停滞するのである。おそらく台本の修正が入り調整したのだ。「あまちゃん」は昭和歌謡やマニアックはパロディが盛り込まれ評価されたが、震災に向き合ったドラマでもある。しかしそれにともなう「死」を描けなかった。これはきっとNHKの事なかれ主義のせいであると思う。もちろんこれらは僕の個人的な考えなので、間違いかもしれない。

 

今回の「いだてん」ではぜひ外野の声に邪魔されずに「クドカン節」を貫いてほしい。視聴率なんてどうでもいい。お年寄りの声なんてどうでもいい。僕は見るよ。録画でだけど。

がんばれクドカン!