射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

エリザベス女王国葬 開かれすぎちゃった王室

台風が猛威を振るう中、テレビでは台風情報もそこそこにエリザベス女王の国葬を放送していた。とりわけNHKではそれなりの時間を確保して生放送する力の入れよう。

画面で動きがあるたびに解説が入り、参列者のファッションチェックまで始める始末。「報道」に擬態したバラエティショーとしておもしろい。

女王の棺を寺院に運び込む際は棺を海軍の砲車に移し、クイーンズネイビーの水兵が前後を挟む形で進んでゆく。
解説によると、かつて馬が暴れて棺を運べず、側にいた水兵が運んだことからはじまった伝統だそうだ。伝統といえば聞こえがいいが、なんか間抜けである。
そして葬儀中もミスター・ビーンみたいなヤツが乱入し大混乱しらたらおもしろいなと思ってしまう。

チャールズ皇太子の不倫とダイアナ妃の交通事故死や、孫であるハリー王子とメーガン妃の王室離脱問題など、エリザベス女王は大変な困難に直面してきた。

次に即位するチャールズ国王は過去のスキャンダルから国民に不人気であるという。常に無遠慮なパパラッチに追跡される「開かれすぎちゃった王室」への不安は大きなものがあるはずだ。国葬はそれを格式や伝統そして宗教でコーティングすることに成功している。たしかに荘厳で格式はあるのだろうが、どこかしらユーモラスで軽薄な感じもするのは一皮向けばどうであるか考えてしまうからである。タブロイド紙は虎視眈々と次のネタを探しているに違いない。

日本の皇室もそうだが、あけっぴろげに「開かれる」必要は無いと思う。ワイドショーのネタにされてしまうと価値が下がるのだ。少々の醜聞などがあっても見て見ぬふりでいいではないか。

そもそも皇室も王室も超法規的な存在であるから意味があり、一般常識と比べるものではない。ジェンダーや人権なんて概念のない時代からあった存在なのだ。そういう重石のようなアンタッチャブルな存在があってもいい。民主主義だけでは多様性を欠く。