射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

学生運動は元祖ノイジーマイノリティ

「最近の若者はたるんどる」と力説するおっさんは学生運動を引き合いに出し、遠くを見る目で「あの頃は学生も世を憂い戦った。それに引きかえお前らは」と何かにつけて言っていた。昭和40年代生まれとしてはよく槍玉にあげられたものである。

とはいえ若い頃はとぼけたもので、左翼色の強い××業界にいたので反体制でなければ××人にあらずという風潮に対しても深く考えずに「考えない葦」であった若かりし頃のワタクシ。

そして時代はうつろう。

インターネットの到来で前代未聞、玉石混交、魑魅魍魎、阿鼻叫喚、酒池肉林出前迅速の情報革命の洗礼を受け、「なんとなくリベラル」だった思考がが「なんとなく保守」になった。

そのリトマス試験紙となったのはかつての学生運動である。反面教師と言ってもよい。やはりその経緯と結果を踏まえると若者の暴走では済まされない愚かな運動であったとしか思えない。

学生運動当時の大学進学率は20%程度であったという。5人に1人である。

学生運動をしていたのはごく少数で、若者の大多数は社会の荒波で働いていたのである。少数派が学費の値上げ反対だとかベトナム戦争反対などと騒ぎ、バリケード作ったり機動隊と戦争ごっこしたりしていた頃、マジョリティは額に汗して地に足をつけるべく奮闘し社会を支えていたのである。

小学生のみんな!どちらがカッコいいかなあ?

なのに大多数の感情は無視され、少数派がお仲間のマスコミの共感を呼び「熱い政治の季節であった」と総括されてしまう。存在しなかったかのようである。

安倍総理の国葬に反対している活動家やデモ隊の多くが高齢者である。学生運動世代かその影響を受けたジジババと思われる。

最後に一花咲かせるぞと空回りする気概とマンネリ化形骸化した反体制の死臭が漂う世界的に見ると稀有な「お達者ですなあ運動」となっていて日本の高齢化社会とは良いものなのか悪いのかわからなくなってくる。あんな風になるのなら長生きもどうかと思う。

随分長いこと日本ではノイジーマイノリティが尊重されてきたんだなあと感慨深い。

あんなザマを見ると「なんとなく保守」からいっそのこと「なんとなく極右」になってもいいのかもなんて考えたりして。

あまりにもねじくれた今までの反動から、極右がノイジーマジョリティになってもおかしくないかもしれないと思うからである。