射手座のひとりごと

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

物事には理屈がある

テレビ離れが進んでいる。
職場の若者と話をしたらテレビ放送見ないでユーチューブを見ているという。

僕もテレビをほとんど見なくなった。以前は世論を知る上での材料のひとつと考え、ある程度は視聴していた。くだらないなりにリトマス試験紙の役割があったのだ。そのテレビのニュースショーはよりプロパガンダ寄りになってしまい、視聴者をバカにしている気がして見ていられなくなった。テレビははじめから「一億総白痴化」と揶揄されたメディアであり期待するだけ無駄であったのだ。

テレビを見なくなりユーチューブにはまっている。気に入っているチャンネルは「メカ部チャンネル」と「山田五郎のオトナの教養講座」である。

メカ部チャンネルはアニメのメカデザインの解説動画である。

部長とメガネと猫の掛け合いも楽しい。巨大ロボットというのは日本アニメのお家芸である。鉄人28号やマジンガーZから始まり80年代に隆盛を極めたメカデザインの歴史を解説してくれる。

面白いのは様々なロボットのデザインやメカ設定にアニメーション上の表現に「理屈」があることである。もちろん予算や製作体制の問題で表現したいものがきちんと表現できているわけではない。ガンダムのデザインはスポンサーの要望が反映されているのは有名であるが、その制約の中で精一杯「理屈」をつけているのである。

山田五郎のオトナの教養講座は美術や絵画の解説である。

有名無名の画家の交友関係や背負ってきた歴史を踏まえその作品の意味を解き明かしてゆく。有名な絵画をみると色使いがきれいだとか陰影や構図がよいなどと思うのだが、その意味を深く考えることなく受け入れ、なんとなく良い(あるいは悪い)と感じているだけである。しかしそこには「理屈」があるのである。

レンブラントの「夜警」が集団肖像画、いまでいう集合記念写真であるというのは驚いた。そういう意味では作家性が表現された純粋な芸術品ではないのだ。

そういう意味ではメカデザインも絵画も同じである。歴史や派閥、スポンサーからの要望があり、そういうものに振り回される。しかしその時代ごとの「理屈」がある。

あらゆるものに「理屈」があり、それを知る楽しみがあるのだ。人間に許された稀有な娯楽である。

新聞テレビが衰退しているのは、横並びで「理屈」を語らなくなったからだろう。戦後メディア界の中では一億総白痴化計画は完了し視聴者はインターネットに流れてしまった。いまや新聞テレビを支えているのは高齢者である。高齢者は「理屈」が嫌いで、「情」に流されるのだ。