空転日記

「はばかりながら はばかる」 ぢっと手を見る

ウィズコロナに期待してみる

非常事態宣言、東京アラートも解除された。日本のコロナ禍はいったんは収束したと思われる。しかしこれから感染拡大が起きる可能性も十分にある訳で、生活や文化においうて新しい常識とやらが現れる。ウィズコロナというヤツである。

 

たとえばテレビはリモート出演が多くなっている。生身の人間に混じってディスプレイが鎮座しそこにも出演者がいるというなかなかシュールな状況になっている。そして気づいてしまう。「そこまでして見たい人ではない」と。

現在の状況は今までの手法を守るための代替策に過ぎず、これから企画される番組は最初から出演者を減らすだろう。コロナは関係なくスポンサーからの広告料は減少し続けている。これを良い機会とさらに大企業のテレビスポンサーからの撤退が進むだろうから、いやでもシンプルな番組を作らなければならなくなる。テレビ業界の縮小は避けられない。しかし視聴者にとって今よりマシな番組が増えるので良いかもしれない。芸能人はたまったものではないだろう。半数近く不要になるのではないか。まあ、ちゃんと芸のある人は残れるので大丈夫。

 

映画や音楽ライブは配信が主流となるだろう。会場に行くことがリスクになるのだから。コアなファンにとってはライブ会場や映画館の空気や臨場感は捨てがたいものだろう。しかしそこまででない人からすれば配信のほうが気軽でよいのだ。上手くやれば配信のほうが儲かるだろう。

映画館は映画と組み合わせたイベントを行うなどの工夫が必要になっていくだろう。しかし衰退は必須である。

 

演劇は今回のコロナですっかり「公共の敵」になってしまった。「一部の演劇人の発信やコミュニケーションの失敗を批判できない身内」という構図が透けて見えた。演劇人は演劇人としかコミュニケーションしない傾向があり、外の世界と交流することが上手くないのである。そのうえプライドが高いと思われてしまい批判の対象となった。そこに政権批判をし公共の支援を求めたのだから最高にカッコ悪い。演劇にとってはこのイメージダウンのほうが経済的な問題より深刻である。もともと公演しても赤字という団体がほとんどなのだから。

コロナ禍は学生運動の下位互換のような一部の演劇人を一掃するいいチャンスとなる。うまくいけば配信と両立できる健全なエンターテイメントとなる。

オンラインにアーカイブを残してそれが収益となるのなら良いことで、関係者の収入も安定するだろう。どうしても生でなければならないと考える演劇人はいずれ淘汰されてゆく。

 

どうせならウィズコロナの生活様式はシンプルで快適で文化的なものになるべきだ。もちろん「ムダ」とされてしまった人たちは気の毒だが。僕はコロナによる悪影響はほとんどなかったので勝手かもしれないがウィズコロナはうまくやれば意外と明るいと様式になると思うのだ。