以前、是枝裕和監督が「万引き家族」でパルムドールを受賞したあと、文化庁の助成金を貰っていたことを認めながら「公権力とは距離を保つ」と発言し賛否を巻き起こした。
しかし是枝作品は表現の自由を追求しタブーに挑むようなものではないし、福山雅治を主演にする平凡な商業作品も撮っている。テレビのディレクター出身らしく業界に受ける作品を作る監督と言うイメージがある。
そのような作風の人が反権力を気取るのは非常に違和感を覚える。しかも成功した映画監督であり、発言は多方面に影響を与える。是枝監督こそ権力の側にいる。
文化庁の補助金は映画だけでなく、さまざまな文化芸能のに支出されている。
能や文楽などの古典芸能などは補助金を出してでも守るべき文化的側面はあるだろう。
面白いのは共産党系の劇団なんかにも出ているのである。集団的自衛権の議論の時は「サイレントスタンディング」と称し、「戦争反対」「反アベ」のチラシを持って集団で駅に立っていたりした人たちである。
演劇関係者には文化庁の予算で海外に留学する制度もある。半年くらい海外に行って芝居を見たり劇場で研修をして、日本に帰ってきたら簡単なレボート提出したら終わりである。
そういった補助金や留学の制度を活用しておきながら、それは一言も言わず、表現の自由だの権力と戦うだの、恥ずかしくないのだろうか。
表現を追及したりなにかと戦おうとするなら、税金を当てにしちゃいかんと思う。説得力がまったくないし。最終的には国家権力に飼いならされてしまうじゃないか。自分たちで金を集めて好きにやればいいのだ。
そして表現の自由を叫ぶなら、その表現を批判する自由も認めてほしいもんだ。日本にはきちんとした評価や批評をするメディアはない。批判に晒される経験がないのだ。そうなると生温い制作環境となり、つまらんものであふれてしまう。ネットの意見を拒絶しないで多少は耳を傾けた方がいい。
そして「表現者」自身が自分たちに酔っている感じが不快である。主役はその表現とやらを見にくる「お客さん」であって、「表現者」はそれに奉仕する存在ではないのか。お客さんをないがしろにして許されるのはごく少数の天才であって、そんな人はほとんど見当たらない。