うちの娘が、京都・広島に修学旅行に行った。それに合わせて行った事前学習の多くは、原爆に関するものだ。当時の世界情勢、原爆の被害、被爆者、そして現在の核兵器禁止条約をめぐる日本の対応についてなどなど。熱心な歴史の先生がいて、内容は安倍政権批判にまで及ぶ。 広島では原爆資料館に行き、原爆の語り部を招き、話を聞く。
ずいぶん前だが、僕が修学旅行に行ったときも一緒だ。宿の大広間で原爆被害者の話を聞いた。僕はひねくれた高校生だったので、人前で話すのが仕事なんでしょ、なんて思っていた。困ったことにそのままひねくれた大人になってしまった。
原爆や沖縄戦を語り継ぐ方たちが高齢化してきたので、若い人が跡を継ぐ動きがあるが、なんか釈然としない。原爆を体験した当事者だから意味があるのであって、当時を知らない若い人では、どうやっても変質してしまう。たぶん演劇化してしまうし、語り継ぐことを継続させることが目的化するだろう。そしておそらく行政が補助金などを出すので公共事業的な側面が強くなってしまうのではないか。これでは伝わらない。
授業で戦争の惨禍を教えることは大事だ。
しかし長い年月が経てば、記憶は薄れ、単なる歴史の一つの項目となる。原爆や空襲や沖縄戦に関する記憶もいつかはそうなるはずだ。
目指すべきは、平和で「語り継ぐ必要がない世の中」だろうと思う。