空転日記

「はばかりながら はばかる」 ぢっと手を見る

歴史を作るのはマスコミ 半藤一利亡くなる

半藤一利が亡くなった。
昭和史の専門家で多くの著作を持つ。追悼するテレビ番組や書籍が制作されている。

10年くらい前に半藤一利がにテレビ出演していたのを記憶している。その番組は歴史関連の討論会で「先の大戦」をどう考えるかという論題になった。その時保守の論客が客観的な歴史的事実をテキパキと話し、当時の日本側の立場に肯定的な主張をした。半藤一利はそれを受けて、日本人は戦争の時おかしくなっていたのだ、戦争はダメなんだとうろたえたて感情的な発言に終始していた。その時左翼の衰退を感じたことを覚えている。

半藤一利は昔右翼と言われていた。左翼的主張ばかりしていたので不思議である。

戦後イデオロギーの大転換があり、歴史認識を提供するジャーナリズムやアカデミズムにおいて事実なんてどうでも良かったのである。感情的な自虐史観に支配され「日本は悪かったのだ」といってりゃ良かったのである。

そんな硬直した歴史観に支配される中において半藤一利は歴史探偵を自称し「事実をして語らしめる」ということを持ち込んだのである。きちんと取材して当事者の証言を聞くということは「当たり前」だが、当時は違ったらしい。

戦争時の軍部の指導的立場であった人から取材するなどして、いままで顧ることの無かった側の立場も明らかにしようとしたことが「右翼」と呼ばれる理由なのではないかと思う。したがって半藤一利が「右翼」と呼ばれていたことに大した意味はない。「事実をして語らしめる」という当たり前の姿勢は自虐史観の左翼には目障りだったということもあるだろう。歴史観において半藤一利は右翼ではなく初めから左翼の自虐史観に取り込まれていた人である。

小林よしのりがマンガ「戦争論」を出版し、センセーションを巻き起こしたあたりから「左翼」は弱体化、陳腐化してゆく。半藤一利も同様に。

半藤一利はもともと文藝春秋社の編集者でありマスコミの人間である。司馬遼太郎も元毎日新聞の記者である。
「日本人は明治大正までは良かったに昭和に入って駄目になっちゃった。なんでそうなったのか分からない」このマスコミ歴史観は聞き飽きた。

それにつけても良くも悪くも歴史観に大きく影響を与える人物がマスコミ関係者であるということからも、この国のアカデミズムのダメさが分かる。