射手座のひとりごと

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

平沢進「BEACON」の感想

CDはかつてのように売れず、音楽はネットで聴くものになった。CDは昔買ったものをまだ持っているが、パソコンに入れてあるのでCDをプレーヤーに入れることはない。

今現在、CDを買うのは平沢進だけ。

ツイッターでは陰謀論を語り、自らマスと距離を置こうとしつつ、でもフジロック出ちゃうしCDもオリコンチャートに入っちゃうという最近のヒラサワのヤバさと活躍はだんだん知られてきたところ。2019年のフジロック出演時のヒラサワをキング オブ アウトサイダーと称した評論家がいて良い表現だと感心した。

ヒラサワはアルバムを買って聴かないとイカン気がするのである。

なにやらアルバムという形態で伝えたいメッセージがあって、聞くほうもそれと向かい合わなければならないと思えるからである。まあ聴いてもよく分からんのだが。

ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のようなコンセプトアルバムは昔はよくあったが、ヒラサワのアルバムはほとんどがコンセプトアルバムである。
ヒラサワはインディーズになって長い。タイアップもなく淡々とアルバムが出るだけである。もちろんデジタル販売の先駆者でもあるので、ウエブサイトで曲ごとのダウンロードが可能なものもあるが、ヒラサワ好きはほとんどアルバム単位で購入しているのではないかと思う。

ヒラサワのアルバムにはそれぞれにテーマがありメッセージがこめられている。しかし明確に提示はされない。聴く人がご自由に解釈しなさいという感じである。

ヒラサワはツイッターのフォロワー数が多い。しかしステルスメジャーを標榜しフォロワー数が増えることを嫌がっているというひねくれ者でもある。

「TIMELINE」というのはツイッターに代表されるSNSで展開される世界線であり、それを終わらせて目覚めよということか。

なぜ終わらせないといけないのか。一部のインターネット世界は悪しき力で人間をよからぬ方向に導くものになってしまったからだろう。

アルバムの2曲目、「論理的同人の認知的別世界」(またすごいタイトル)を最初に聞いたときはびびった。途中でヒラサワの語りが入るのである。

「物語はクライマックスへ 冗談のような夜ですって? ええ、前夜ですから」

ヒラサワの曲にこういう気持ち悪い仕掛けはよくある。なぜそんなにびびったかって?聴いたのが東京オリンピックの開会式前日だったからですよ。
もちろんヒラサワがオリンピックに関心があるわけないので関係ないでしょうが。

「BEACON」は全曲通してメッセージ性が強い。カバー曲が1曲あるがこれもオリジナルの日本語詩が付いているので、まったく気が抜けないアルバムという感じである。

一聴すると過去のヒラサワ曲の中で類似するメロディーやアレンジや音色があるような気がするが、何回か聴くとそれはなくなり、過去の曲とは違う地位をすぐに確立するのが不思議である。組み合わせの上手さなんだろうか引き出しの多さなんだろうか。

しかしこのアルバムは音色もメッセージも濃すぎると思う。

ヒラサワはソロ活動とは別に核P-MODEL名義でも活動している。最近は会人という二人組とドラム奏者をいれてまた別の形態で活動している。最近出演したフジロックでもこの形である。
ヒラサワももう年だし、活動の形態を変化させつつあるのだろうか。
まずはソロと核P-MODELの融合を図ったのが、このアルバムなのではないかと思う。だとすれば濃くなるわけである。

ヒラサワのツイッターでの発言や発信するメッセージをすべて理解しているわけではないし賛同するものでもない。お茶目では済まない感じもある。なんというか正しく狂っているというか。

そしてこんなに攻めているミュージシャンは日本にはいない。世界を見てもいないんじゃないかと思う。

もちろんヒラサワは攻めているわけではなく、普通に活動しているだけなのだが。

他のミュージシャンがあまりにも戦わなくなってしまったので一人目立つ存在になったのだ。政府の要請にしたがってマスクして自粛するロックミュージシャンはいくらでもいるが。

ヒラサワが残されたキャリアで何を見せてくれるのか見届けたいと思う。こんなにヤバクて刺激的なミュージシャンに出会えたのはよかったと心底思う。