射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

平沢進 INTERACTIVE LIVE SHOW「ZCON」感想と例の話

平沢進が INTERACTIVE LIVE SHOW「ZCON」を開催した。
平沢進の代名詞であるストーリー仕立てになっているライブである。ここはなんとしても配信で見ないといかん。と言うわけで全3ステージを配信で鑑賞した。
事前に特設サイトが解説され世界観の説明が掲載された。しかし情報量が多すぎて3回読んだが理解できない。まあいいか。

ライブ前に公式ツイッターからお知らせが届く。
配信で参加する「在宅オーディエンス」にも「天候技師」としての作業があり、ライブのストーリー展開に参加できる。その案内である。

結果、メインPCでライブ配信、サブPCで天候技師作業場(Googleフォーム)と進捗状況(Youtube)、iphoneで公式ツイッター(指示を受け取る)と3台のデバイスを駆使してのライブ鑑賞となった。これではオタクかハッカーである。

平沢進はこういったインターネットを活用した双方向ライブを1994年からやっていた。

その頃はまだインターネットなんて一般的でもなく、せいぜいパソコン通信を一部の人達が愛好していたぐらいだろう。どうやっていたのか全く分からん。平沢進の先進性は恐ろしいものがある。やっと時代が追いつき始めたのかもしれない。

いざライブを鑑賞。ストーリーは情報過多であり、会場の観客へ与えられる選択肢は難解で、配信の天候技師は忙しすぎであったが十分に楽しめた。
ストーリーの結末は1回目はバッドエンド、2回目はややバッドエンド、3回目でグッドエンドとやや出来すぎな展開であったが、結果オーライである。

すいません。こんな書き方では分からない人には分からないですよね。ですが説明するのがとても大変なのです。堪忍してつかあさい。

肝心の音楽は、最新アルバム「BEACON」の曲が中心で構成されていた。「BEACON」は映画のようなインタラクティブライブ用に制作されたサウンドトラックアルバムだったようで親和性が抜群である。
平沢進の声も良かった。実は最近のライブを見ていて平沢進の声の衰えを感じていたのだが、杞憂であったようだ。その力強い歌声は終了後のMCからは「まだまだやれるぜ」という余裕すら感じられた。

「もう大丈夫ですよ安寧の人」という台詞もアルバムでは皮肉だと思っていたのに、ライブではやさしく穏やかな意味を帯びていた。

ライブは大成功だったと思う。次があればぜひ会場で参加したい。

 

そして今回のライブにも関わっていることなので例の話にも触れる。
平沢進と「陰謀論」についてである。

今年に入ってから平沢進がツイッターで「陰謀論」的な発言を連発しファンの間で物議を醸したのである。マスクをする人々を「奴隷」と書き、ウクライナに支援する人達を「ネオナチに募金するグロテスクな善意たち」と書いた。以前からもいわゆる「Qアノン」を匂わせる発言を度々していたこともあり、「匂わせ」くらいで済んでいたのだが、さすがにネオナチ発言の影響は大きかったようだ。古参のファンからも批判の声が上がったようだ。

今回のライブはそういった不穏な空気のもと行われた。
もしかすると今回のライブで陰謀論を盛り込んだストーリーを展開しファンを置き去りにし、これを期に音楽活動から一線を引くのではないかと僕は考えていたのである。

結果としては、SF的なストーリーに「匂わせ」以上のアブナイ要素はなかった。
正しさを押し付けてくる物を疑えと、つまり「平沢進」自体も疑えというメッセージだと思った。そうするとツイッターでの「陰謀論」発言もライブの前フリかと思いたいが、おそらくそうではないだろう。

過去にもアポロは月に行ってないとか、石油は地球由来であるとか、9.11のテロは自作自演であるとかを匂わせる楽曲を作っているからである。何を今更とも思う。

平沢進は現在の定義では陰謀論者である。本人にとっては正しい思考であっても、そう言われるのは自覚しているだろう。過去にBSPで「自分は本当に危険であるので人に安易に勧めるな」と言っていたこともあるのだし。

いつの時代でも一部のアーティストは危険な考えを持っていた。そういう尖った人達は市場原理の中で牙を抜かれ均質化矮小化してしまい、みんなフツーの人になってしまった。平沢進はそこに迎合していない絶滅危惧種のアウトサイダーとして目立つ存在になってしまったのだ。
そういうタイプは本来なら成功はしないのだが、マイナーゆえの戦略が大当たりし、ファンが増えすぎたのである。商業的な成功は悪いことではないが、注目されすぎるとキャラクターとのバランスが悪くなる。

平沢進はとっつき易く見えることもあるが常にナイフを忍ばせている危険な男だ。その危険な部分とエンターテイナーとしての部分を薄氷を踏むように渡っている。

危険な部分を見えなくすればファンは安心だろうが、そのような安易なことはせず、平沢進はこれからも危険部位をほのめかせながら活動してゆくだろう。ファンは弄ばれるし、付き合うなら相応の覚悟を持てということだろう。平沢ファンに安寧の時は来ないのだ。望むところよ。