射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

ガーシーと憲法15条

世の中を騒がせてきたガーシー参議院議員が除名され国会議員の地位を失った。

すかさず暴力行為等処罰法違反で逮捕状が出されて警視庁はICPOに国際手配を要請するという。加えて警察庁はガーシー前参議院議員への旅券返納命令を出すよう外務省に要請した。

ガーシー議員はあっという間に「東谷義和容疑者」となった。なんともわかりみが深い。

所属していた立花党首の言動もめちゃくちゃであり、率いるNHK党は「政治家女子48党」と名称を変更した。一連の出来事のバカバカしさにお父ちゃん涙が出てくるわけだが、このバカバカしさは民主主義の生み出す側面として批判しきれない。民主主義を前提とした普通選挙制度が目指してきた理想であるからだ。

為政者を一部の特権階級に独占させずにあらゆる層に門戸を開く。それがどれだけ不道徳で犯罪者的な者であっても被選挙権の要件を満たせば問題ない。

投票する側も同様である。

こちらはさらに深刻で、資格も必要なく一定の年齢になれば自動的に選挙権が付与される。バカでも不道徳者でも関係なく。普段政治に無関心であっても選挙に行けば褒められる。普通選挙は「バカ化」なのだ。しかしこれを批判すると人権思想に反するのだ。

オマケに憲法15条4項にはとんでもない事が書いてある。

すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

選挙人(有権者)がどのような選択をしても一切の責任は問われないという恐ろしい内容である。憲法上ではガーシーに投票した有権者を責めることもできないし、反省を求めることさえ出来ない。バカが立候補しバカが投票することを可能とすることは「民主主義」が目指してきた理想であり到達点であるとさえいえる。

ガーシーを批判することはたやすいが、この出来事を突き詰めると「民主主義」の根本的な宿命が横たわっている。そこを踏まえないとワイドショー的話題にしかならない。

そして現在、ポンコツでも「民主主義」は無敵である。特に西洋型民主主義を持ち出せば多くの人の思考は停止する。しかしリベラルに振れ過ぎて色々な矛盾が明らかになってきた。LGBT問題への対応もしかりである。

いいかげん民主主義もアップデートが必要である。

そのためにも日本では建設的な憲法論議が必要であるのだが遅々として進まない。その足を引っ張るのは「人権主義者」や「民主主義者」である。