射手座のひとりごと

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

NHK受信料の断り方!?(2021年10月20日追記)

NHK受信料は払っていない。

払わない人たちには色々な理由があるようである。

公共放送のくせに反体制ですっかり左だとか、政府宣伝機関に成り下がりすっかり右だとか、民放と変わらず、お笑い芸人ばかりのバラエティばかりでつまらないとか。

他には、「Songs」に大泉洋はいらないとか。ウチのテレビはアルジャジーラしか映らないとか。

僕が払わない理由はそんな高尚なものではない。
単に金がもったいないからである。タダで見られるのに払うことはない。タダ見されたくないなら遠慮なくスクランブルをおかけなさい。僕に忖度は不要である。民間ができるスクランブルが潤沢な予算を持つ天下のNHKにできないわけがない。

液晶テレビを買ったとき、戯れにHDMIケーブルでパソコンと繋いでみた。おおパソコン画面が写るぞ。動画なんかは画面の大きいテレビで見たほうが良さそうである。ワイヤレスのキーボードとマウスを買えば、少し離れたダイニングテーブルで食事をしながら、ネットサーフィン(死語)ができるじゃないか(いまだにしたことはないけど)。

そうか、このテレビはPCモニターとして使用するために購入したのだ!テレビのようでテレビじゃない。後から気がついた。

放送法64条1項にはこうある。

協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備を設置した者については、この限りでない」

うちのテレビはPCモニターとして設置しているので、放送の受信を目的としていない。ゆえに受信料を払う必要はない。スマートフォンもテレビは受信できない。

そのような解釈が成り立つのでNHKの集金人が来るとドアホンで「うちは(NHKの受信を目的とした)テレビはありませんので払う必要はありません」と言ってお帰りいただいていた。だってPCモニターだもん。ちゃんと写るか、たまにチェックしているし。そしてドアホンありがとう。

しかし状況は変わった。NHKのすべての番組をインターネットで同時配信できるようになった。つまりインターネットに接続できる機器を所有していると、受信料支払い義務が発生する可能性が高いのだ。

これはいかにもまずい。集金人が来たときにパソコンもスマートフォンも持っていないとはさすがに言えない。貧乏人だと思われたくはない。ついに受信料支払いを前向きに考えるべき時が来たか。

調べてみると受信料の契約はNHKのホームページでできる。おー便利じゃないか!

なるほど、これからは集金人が来たときには

「喜んでお支払いします!が!今忙しいので契約はNHKのホームページから手続きします。もう来なくていいですよ

といってお帰り頂けばいいのではないか。
そう家にいるときはいつも忙しいのだ。暇なときも暇であることに忙しい。ひょっとすると契約はかなり先になるかもしれないが、払いたいという気持ちは集金人に伝わるだろう。

(2021年10月20日追記)
NHKのスクランブル化は大賛成である。衆院選の争点になるといいな。
NHK党はちょっと変だけど。

 

平沢進「BEACON」の感想

CDはかつてのように売れず、音楽はネットで聴くものになった。CDは昔買ったものをまだ持っているが、パソコンに入れてあるのでCDをプレーヤーに入れることはない。

今現在、CDを買うのは平沢進だけ。

ツイッターでは陰謀論を語り、自らマスと距離を置こうとしつつ、でもフジロック出ちゃうしCDもオリコンチャートに入っちゃうという最近のヒラサワのヤバさと活躍はだんだん知られてきたところ。2019年のフジロック出演時のヒラサワをキング オブ アウトサイダーと称した評論家がいて良い表現だと感心した。

ヒラサワはアルバムを買って聴かないとイカン気がするのである。

なにやらアルバムという形態で伝えたいメッセージがあって、聞くほうもそれと向かい合わなければならないと思えるからである。まあ聴いてもよく分からんのだが。

ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のようなコンセプトアルバムは昔はよくあったが、ヒラサワのアルバムはほとんどがコンセプトアルバムである。
ヒラサワはインディーズになって長い。タイアップもなく淡々とアルバムが出るだけである。もちろんデジタル販売の先駆者でもあるので、ウエブサイトで曲ごとのダウンロードが可能なものもあるが、ヒラサワ好きはほとんどアルバム単位で購入しているのではないかと思う。

ヒラサワのアルバムにはそれぞれにテーマがありメッセージがこめられている。しかし明確に提示はされない。聴く人がご自由に解釈しなさいという感じである。

ヒラサワはツイッターのフォロワー数が多い。しかしステルスメジャーを標榜しフォロワー数が増えることを嫌がっているというひねくれ者でもある。

「TIMELINE」というのはツイッターに代表されるSNSで展開される世界線であり、それを終わらせて目覚めよということか。

なぜ終わらせないといけないのか。一部のインターネット世界は悪しき力で人間をよからぬ方向に導くものになってしまったからだろう。

アルバムの2曲目、「論理的同人の認知的別世界」(またすごいタイトル)を最初に聞いたときはびびった。途中でヒラサワの語りが入るのである。

「物語はクライマックスへ 冗談のような夜ですって? ええ、前夜ですから」

ヒラサワの曲にこういう気持ち悪い仕掛けはよくある。なぜそんなにびびったかって?聴いたのが東京オリンピックの開会式前日だったからですよ。
もちろんヒラサワがオリンピックに関心があるわけないので関係ないでしょうが。

「BEACON」は全曲通してメッセージ性が強い。カバー曲が1曲あるがこれもオリジナルの日本語詩が付いているので、まったく気が抜けないアルバムという感じである。

一聴すると過去のヒラサワ曲の中で類似するメロディーやアレンジや音色があるような気がするが、何回か聴くとそれはなくなり、過去の曲とは違う地位をすぐに確立するのが不思議である。組み合わせの上手さなんだろうか引き出しの多さなんだろうか。

しかしこのアルバムは音色もメッセージも濃すぎると思う。

ヒラサワはソロ活動とは別に核P-MODEL名義でも活動している。最近は会人という二人組とドラム奏者をいれてまた別の形態で活動している。最近出演したフジロックでもこの形である。
ヒラサワももう年だし、活動の形態を変化させつつあるのだろうか。
まずはソロと核P-MODELの融合を図ったのが、このアルバムなのではないかと思う。だとすれば濃くなるわけである。

ヒラサワのツイッターでの発言や発信するメッセージをすべて理解しているわけではないし賛同するものでもない。お茶目では済まない感じもある。なんというか正しく狂っているというか。

そしてこんなに攻めているミュージシャンは日本にはいない。世界を見てもいないんじゃないかと思う。

もちろんヒラサワは攻めているわけではなく、普通に活動しているだけなのだが。

他のミュージシャンがあまりにも戦わなくなってしまったので一人目立つ存在になったのだ。政府の要請にしたがってマスクして自粛するロックミュージシャンはいくらでもいるが。

ヒラサワが残されたキャリアで何を見せてくれるのか見届けたいと思う。こんなにヤバクて刺激的なミュージシャンに出会えたのはよかったと心底思う。

 

批判殺到選挙制度改革案②議員を増やせ歳費も増やせ

 

www.koketumarobitu.com上の記事に続いて②である。

みんな国会議員は悪者だと思っている。
当の国会議員ですら「身を切る改革」といって国会議員を減らせと言う。それを言えば受けがいいと思っているようだ。ならばすぐにお辞めなさいな。

国民の声を代弁し国政に反映させることが国会議員の使命である。議員の数を減らしたら、議員1人当たりが受け持つ国民の数は多くなり、その分細やかな民意は反映できなくなる。国会議員の数は多ければ多いほど民意は反映されやすくなる。

なぜ議員の数を減らしたがるのか。不思議でならない。

族議員は、その議員を支援する関連団体のためにその利益を守る存在であり、国政の決定に強い影響力を及ぼす存在である。
悪いイメージが先行するがこれが本来の政治家の姿である。自分を支援してくれる人達のために働くのだから。そしてその議員は高度な専門性を有することが多い。悪いことだけではない。

議員の数を減らしたら、有力で巨大な組織の支援を受ける議員ばかりになり、草の根的な陳情を訴える議員がいなくなる。その結果、巨大な経済団体や労働組合や市民団体の代弁者ばかりになってしまったではないか。

議員の数を増やせ。そして僕たち私たちの族議員を国会に送り出すのだ。

そして国会議員は悪さをする。金に汚い。なぜかといえば金がないからである。なのに議員報酬の削減を言う。みんな言う。おかしいじゃないか。

確かに国会議員の歳費は高額ではあるが、優秀な私設秘書を数名雇い、選挙にかかる資金も多い。活動的に働く政治家ほど金がないのだ。そりゃ悪さもするさ。

議員歳費を増やせ。金に困らないように年2億円くらいでいい。議員を辞任したあともしばらくは安泰なので在職中のよくない癒着も減るだろう。

その代わり政治家・政党に対するあらゆる献金を禁止すればいい。

議員の数を増やし報酬も増やす。そして目一杯尊敬するのだ。

学校の先生は昔偉かった。駆け出しの若い先生ですら親から尊重されていた。
先生は親より学があったからである。いまや大学卒が当たり前となり先生は友達になった。みんな先生を尊敬しなくなったので、おかしな先生が多くなった。

国会議員もそうである。権力があろうが金持ちであろうが、妬み嫉みの対象にしてはならない。みんなのために尽くしてくれるエライ人として、尊敬しまくれ。不祥事を起こしたら恥ずかしくて死にたくなるくらいに。

僕はずっとNHKのスクランブル化を望んでいる。しかしそんなことを言う国会議員は皆無で、それが長年の不満であったのだ。ところがである。
なんと今回の衆院選でNHKのスクランブル化を訴える政党が現れた。なかなか捨てたものでもない。ちょっと思ってたイメージとは違うのですけども。

表現規制もほどほどに

レンタルビデオ店に行くと奥の方にアダルトコーナーがある。狭い店でもそれはある。しかもアニメのDVDが並ぶ近くにあったりする。あたりまえであるが、よく考えると不思議な光景である。
コンビ二に当たり前にあったエロ本はやっと置かなくなった。今ではほとんど店から姿を消した。しかしつい最近まであったのである。
海外ではどうなのだろう。少なくとも家族連れが出入りするような店にはアダルトな映像ソフトやエロ本の類は置いていないのではないか。

アメリカでエロ本を求めようとしたら、ジャンキーがたむろし、警察も近寄らない暗い路地の奥にある、中国人が経営するアヤシイ店にいって拳銃をちらつかせなければならないだろう。つくづく日本は平和だよ。

漫画もエロ表現はお盛んである。少年誌なんかでもきわどい描写が当たり前になっている。アニメは露骨なエロはなくなったかもしれないが、その分、なんかエロいと思う。それは自分の感性のせいか。すいません。

ここにきて性的な表現を規制しようという動きが出てきた。選挙のせいである。
ポリコレとフェミニズムが台頭し、NGなことが増えている。それが表現の自由とぶつかりあう自体になっている。
女性の胸を強調した広告写真や、アニメ絵の少女キャラが性的であるとか叩かれ始めた。何が性的な魅力となるかは人それぞれで、作業服姿の女性にそれを感じる男もいるだろうし、サラリーマンのハゲ頭にメロメロの女性もいるだろう。

ならばいっそのこと広告に人間を使うこと自体NGとするほかない。漫画やアニメのキャラは全部、サザエさん風で統一してしまえ、と思ったら二次創作にサザエさんのエロがあった。なんて国だ。

戦前戦中の日本では表現が規制されたという。実際は当時のマスコミの自主規制の類でそこに一部国民が賛同したわけである。ともあれ戦後はその反省から、表現の自由が守られてきた国であると思う。エロエロ天国になってしまった感もあるが。

そろそろ曲がり角に差し掛かってきた気もするが、多くの国民は「行き過ぎた」規制には反対する。多少おかしなところがないと世の中はつまらない。テレビがつまらなくなったのは毒やエロを排除したからである。表現の規制には反対!という公約を掲げたほうが耳目を集めますぜ。野党の皆さん。

不可解なのは、日ごろ表現の自由を訴えている表現者や文化人が静かなことである。自分の事としてではなく、単に政局の材料してしか考えていないのではないかと思う。自分たちのことでもあるのに。

次のターゲットはPTAの「おやじの会」?

ファミリーマートのプライベートブランド「お母さん食堂」がリニューアルし、名前を「ファミマル」に変更した。ファミマルと聞いて思い浮かぶのは「チャゲマル」である。

説明しよう。
チャゲ&飛鳥のチャゲが1989年にMALTI MAX(マルチマックス)というバンドを結成し活動していた。正式名称は、CHAGE'S SUPER BAND MULTI MAXグループ名の頭にCHAGEを付ければレコード屋でチャゲ&飛鳥の隣に置かれるので都合がいいというわけだ。しかし近所のレコード店では「チャゲマル」と表示されて並んでいた。長いのでしかたがない。高校生ながら売れないということは実に悲しいことなのだなと思った。説明終わり。

お母さん食堂というネーミングは一部から批判され署名活動が行われた。大多数の人は問題だと思っていないのに問題化されてしまった。声が大きい少数派と、声の小さい多数派の構造である。

ファミリーマートはコメントを出した。今回の名称変更に批判や署名活動は関係ないという。しかし影響はあっただろうし「お母さん食堂」のままではやりにくいだろう。そう言うよねえ。お察しします。

さてPTAはそのほとんどを母親が運営する組織である。シングルファーザーである僕は役員をやったりしてそれなりに関わった。父親が平日に休みを取ってPTAの会合などに参加すると、その様はまるで捕まった宇宙人である。はっきり言ってやりずらいが、差別だと思ったことはない。だってしかたないもん。そして大勢の女性に紛れて男性がいると「すごいですねえ」とか「えらいですねえ」とか言われてほめられるので、悪い気はしない。

今はほとんどのPTAに男性部門がある。だいたいどこの学校でも「おやじの会」と呼ばれている。男性でPTA活動をやりたい人がいればそこに参加することもできる。今はコロナで難しいだろうが、学校行事などで、屋台を出したり力仕事が必要な場合、駆りだされる。通常のPTAは母親が運営し「おやじの会」は父親が参加するというのが暗黙の了解である。

しかし「お母さん食堂」が問題になったのだから、このご時勢「おやじの会」もダメなはずだ。

あちこちのPTAに抗議の声が寄せられ、抗議活動が行われるはずだ。これでは「おやじの会」も名称を変更しないといけない……。
しかしそのような話はどこからも聞こえてこない。おかしいじゃないか。
「お母さん食堂」への反発は、極めて恣意的な行動なんじゃないの?

抗議しても意味がないところはスルーされているわけだ。「サザエさん」も抗議されないでしょ。一貫していない意見ならそんなもの無視すればいいと思うのだ。

糸井重里は怖がられているのだと思う

進歩的文化人界隈から糸井重里は嫌われている。何がそんなに嫌なんだろう。
東京オリンピックに対して肯定的な姿勢であったこととか、ウーバーイーツを批判したりしたことだろうか。軽妙なコピーを作りバブルと遊んだイメージからだろうか。

糸井重里といえばトトロのお父さんである。
いや正確に言えばトトロのお父さんではなく、サツキとメイのお父さんである。
映画の公開当時はその棒読み演技は違和感があったかもしれないが、今ではすっかりそれが味になっており、素人声優起用の草分けと認知されれるまでになった。
おかげで「耳をすませば」での立花隆の起用につながった。すごい功績……だな。

映画評論家の町山智浩はこの「となりのトトロ」での糸井重里の演技を絶賛していたのだが、糸井が体制寄りと知るや批判し始めて、ついには声を差し変えろと言い出した。この映画評論家は信用できんな。

80年代にコピーライターとして活躍、テレビにも良く出ていたし、名作ゲーム「MOTHER」を作ったりもした。まさにマルチな才能を持つ人である。
資本主義の寄生虫などと批判するならその頃に言ってれば良かったのにね。

糸井重里自身はそんなに面白くない。これは本人も自覚している。
しかしいつもどこかにいる。探せばいる。そしてなんか面白そうなことをやっている。資本主義が生み出した座敷童子である。

余裕のない人達にとって、その座敷童子感が怖いのではないか。
なんでこの人消えないんだよ。ずっといるよ。後がつかえていのに!

今活躍している自称文化人のみなさんの中で「10年後に残る人はいるか」と考えると、「いないんじゃない」としか思えないなあ。そりゃ余裕がないわけだ。

そういう人達のターゲットにされている糸井重里だが、どんなに批判されても「イトイ的」な大人の対応を気取るだろう。そこがまたムカツクというところだろう。

陰謀論を危険視しすぎるのも危険だよね

アメリカの話。
さすがハンバーガー食べたら太ったと店を訴える人達である。コロナワクチンを接種するとマイクロチップが埋め込まれるという陰謀論が幅を利かせていたという。

あまりにも荒唐無稽ではある。ワクチンを打つと5Gに接続するとか、磁力が発生しスマホがくっつくとか「なにそれ、ある意味便利じゃね」といったデマが広まったようである。アメリカ人っておもしろい。

陰謀論とはなんでしょねと調べてみた。
ある事象について、偏見や不十分な根拠にもとづき、秘密裏に邪悪で強力な集団が関与していると説明することであるという。

日本でも陰謀論が広まっていると危険視する向きはある。陰謀論を信じてしまうのはネットによる情報拡散が原因であるとか、文章の読解力が下がっているゆえなどと言われる。

うーん、自分の周りには極端な陰謀論に染まる人は見あたらない。仮に染まっていっても思想信条の自由だし、他人に迷惑をかけなければ問題はないよね。

たとえば小泉総理大臣が行った電撃的な日朝首脳会談についてはこんな噂があった。

首脳会談の見返りとして巨額の金が北朝鮮に流れ、しかもその資金は創価学会が出した。そもそも創価学会の会長である池田大作はもともと在日朝鮮人である。というもの。まあ陰謀論の類でしょ。これを信じている人はいないでしょ。ね、池上さん。

別にずっとひっかかっていることがある。
その後、日本の共同通信社が北朝鮮に平壌支局を開設しているのである。しかもこの支局、朝鮮中央通信社の本社内にあり日本人記者は常駐できない。現地の朝鮮人記者が頼りで維持費として金を北朝鮮に落としている。自由な取材が出来ないことは自明だし、北朝鮮のプロパガンダに利用されていたのではないか。現在では平壌支局は閉鎖されている。

共同通信社には、表にできない北朝鮮とのパイプがあるのではないかと勘ぐってしまう。反日と言われる共同通信社の姿勢を考えるとさもありなんである。

日本と北朝鮮が裏でつながっていると考えている人が結構いるとの調査結果がある。識者は日本人が陰謀論に染まる危険な兆候と言う。

バカ言え。すこしはつながっていて当たり前だ。アントニオ猪木に聞いてみろと思う。

もちろん、変な情報に感化されワクチンは殺人兵器だから打つなと他人に強要してはならないのはあたりまえです。陰謀論は用法用量を良く守って個人で楽しんでください。

しかし、極端に「陰謀論はケシカラン」となると、今そこにあることに対して疑問を感じたり、想像を膨らませたりする自由すら奪う恐れがあると思う。そして十分な根拠にもとづき不正を追求してもそれは陰謀論だと切り捨てられたら、それこそ暗黒時代である。メディアや表現のあり方も窮屈なものになるだろう。
自由を標榜するマスコミ人や文化人が取り締まる側ばかりにいるのが、不思議である。

はなからやる気なし 野党共闘(10/17追記)

さて選挙が始まる。

野党は選挙に向けて共闘すると言い、政権取ったら閣外協力すると言う。

立憲民主党は落ちて行く一方の党勢をどうにかせんといかんので共産党の固い支持層の協力が欲しい。いかにも野党共闘は望ましいかに見える。一昔前なら野合だと叩いたマスコミも味方してくれる。

それにしても任期満了の衆院選に臨むにあたりあまりにも準備や根回しが足りない。わざとではないか。

そこにきて山本太郎の出馬騒動である。

野党共闘に冷や水をかけるために立憲民主党と山本太郎で一芝居打ったと見える。

強引な出馬騒動を表明し、すぐ撤回。段取り良すぎ。

コロナ禍で自民党叩き放題だった時期に存在感を示せなかったポピュリストにとっては久々の表舞台。結果大人の対応を取り撤回したと見られれば悪い話ではない。

立憲としても共産党と一体化し、のみ飲まれるわけにもいかない。

ワイドショーで八代弁護士が共産党の歴史を蒸し返したり、連合の新会長に苦言を呈されたり、なかなかのタイミングである。

立憲としては共産党との共闘がうまくいかなかったのでダメダメでした、となればいいのである。

ツイッターを見ると、野党共闘でもって自民党をぶっ潰せという声で溢れている。皆さん騙されてませんかねえ。この状況はなんだかなあと思う。

 

(10/17追記)
東京8区からの出馬を取りやめた山本太郎であるが、比例代表東京ブロックから立候補することを発表した。比例名簿の順位は1位である。いきなり比例ではかっこ悪いし、最近存在感もなかった。はじめから仕組まれた茶番だったりして。
山本太朗は知名度で当選するだろう。しかしれいわ新撰組の他の候補者はほぼ落ちるだろうから、山本太郎はいきなり福島みずほ状態になること確定だよね。

 

批判殺到選挙制度改革案①普通選挙を廃止せよ

衆議院が解散した。10月19日公示、31日投開票となることが決められ事実上の選挙戦に入った。マスメディアは選挙モードになり街宣車などが喧しく街を行くようになる。

選挙のたびに関心の低さが問題となる。特に若者の投票率の低さが問題であるとされる。若者の投票率が低い理由はなんだろうか。若者は政治に希望を持てず絶望していると訳知り顔の大人は言う。

違うと思う。
若者は現状に十分満足しており、政治になにかを期待する必要を感じていないのだ。
昔に比べて、日本は競争社会ではなくなっている。受験戦争を勝ち抜き、いい学校に行き、一流企業に勤め、結婚してマイホームを建て、子供は二人は欲しいわねなんて、目指すべきモデルケースはもうない。独身でも、いい年をしてフリーターでもかまわない。緩やかな個人主義の中でそれなりに「リア充」になった。ワンルームのアパートでスマホ相手に過ごす日々であっても、それで満足ならよいのだ。

単に、選挙に行くことは優先順位が低いのだよ。政治に関心をもち選挙に行くことはコスパが悪いということ。それは絶望でもなく諦観ではなく、熱く政治を語ってるオッサンよりむしろ落ち着いた態度ともいえる。それなら無理やり選挙に行かせなくても良い。これこそ民主主義が目指した自由ではないかと思う。

投票しなかった人は政治に対して文句をいってはならないという意見がある。そんな馬鹿なことがあるか。法の下の平等というやつで、投票した人も、しなかった人も等しく守られるし、意見を言うのは自由だぞ。

物を買ったら取られる消費税はまあ理解できる。もちろん贅沢品は取って、生活必需品は取らないとなれば理想的だが、そのルール作りや手間が大変だし、贅沢品の定義も人によって違う。
そして消費税は必然的に金持ちの方が負担が多い。収入が多い人は支出も多いからだ。貧乏人はフェラーリ買わないし。
納得いかないのが所得税の存在である。
個人の所得に対してかかる税金って何?金を稼がないと生きてゆけないのに稼いだ時点で税金取られるってなによ。国家とは盗人か。
世界でも変な税金はたくさんある。イギリスではかつて家の窓の数で税金を取っていたし、イタリアでは「ポルノ税」、アメリカでは「ソーダ税」などなど。
こんなよく分からぬ税を正しいと言わなければならぬのが政治である。政(まつりごと)というのは本来不可解で変なものなのだ。
そんなものに過剰な期待をして理想の社会をお願いするほうがおかしい。

投票率が低いのは当然である。みんな現実的なのだ。
ならばいっそのこと普通選挙を廃止し選挙権を限定しよう。制限選挙である。

とりあえず、成人になったら選挙権の保有を選ばせるのはどうだろう。選挙権を不要とする人には減税をすればいい。三割程度の国民は「いーらない」と言うのではないか。

お年寄りの選挙権返納制度もアリである。様々な制度で社会から恩恵を受け、あと数年すれば死ぬのに、いまだ政治に口を出しハッスルしている老人というのは異様でもある。政治は若い世代に任せてとっとと隠居せい。返納したら旅行券でもくれてやればいい。「GoToヘブン」である。

制限選挙下では権利を行使する人の意識も変るし責任感も高まるだろう。なにしろ自ら選んだものだ。当然各政党の党員やサポーターなどの組織票もあるだろうが、それもまた民主主義の一面である。

いまや選挙権は成人すると自動的にもらえる空気のごときものであり、ありがたみはない。みんなが持っているものに価値はない。賢い人もバカも前科者もだって持っている。バカボンのパパだってきっと持っている。
普通選挙制度は始めた頃はそれはそれは価値があった。勝ち取ったものとされたからだ。しかし今はそんなことはない。良くも悪くも社会が成熟したからだ。

選挙活動のスタイルも変る。
全成人に訴えかける必要はなくなるから、駅前で演説したり商店街を握手して回ったりすることはなくなり、洗練され経費も下がる。前時代的なドブ板選挙をしなくてよい。そもそも、政治に関心を持つ気すらない人に関心を持ってもらう努力をしても、砂漠に水を撒くようなものである。制限選挙では政治家は効率的に政策を訴えればいい。

メディアは無知な大衆に啓蒙しているつもりである。今ですら通用しなくなっているが、制限選挙下では知的で客観的な報道が出来ないと選挙民から見透かされ、さらなる衰退を招くだろう。メディアの質も上がらざるを得ない。

いいことばっかりじゃない?。よし普通選挙を廃止しよう。

とってもありがたい「高等教育の修学支援新制度」が知られていないのはなぜ?

知ってます?
令和2年4月から「高等教育の修学支援新制度」が始まっている。申請して審査が通れば、対象校となっている大学・短大・高専・専門学校に通う学生に給付型奨学金の給付と入学金や授業料の減免などが実施される。

対象者は家が住民税非課税世帯かそれに準ずる世帯。

住民税非課税世帯だとけっこうな支援額である。
たとえば私立大学に通う場合、入学金は約26万円の減免、授業料は年約70万円減額される。それと別に、自宅から通う学生は38300円、自宅外から通う学生は75800円の給付型奨学金が月々支援される。もちろん学校の種類によって金額は変動する。

そして住民税非課税世帯に準ずる世帯にも年収に応じ、それぞれの2/3又は1/3の支援があるのである。

とうぜん完全無償化とはいかないが、すごい大盤振る舞いなんですけど。しかしこの制度、あまり周知されていない気がするんですけど。

うちの子はちょうど令和2年4月から大学1年生となった。前年度から受付や申請が行われていたのだが全く知らなかったくらいである。
父子家庭なのでそれなりに大学入試の情報などにはアンテナを張り巡らしていたという自負もあるのだが、広報やアナウンスは皆無だった気がする。

それでもなんとか手続きや申請はでき、4月から制度を活用した支援が受けられたのは良かった。年収に応じ1/3の支援額となった。ざっくり言うと減免と給付をあわせて年間30万円くらい支援される感じ。すごいぞニッポン。

安月給に感謝。会社に感謝。

ところが、子供が大学一年生になったとたん、忙しい職場に異動となり残業やらなんやらで収入があがり支援から外れた。オーノー!
したがって大学1年生の9月であっという間に支援はなくなった。さよなら支援さよならニッポン。

ところが、昨年からのコロナ渦により仕事が暇になり収入も減り、再び1/3支援のラインに入った。今年の10月から支援が復活する見込み。

ありがとう安月給。ありがとう会社。

それにしてもだ、かなりの世帯がこの制度を活用し恩恵を受けているはずだが、アナウンスされないのはなぜなんだ。不思議でならない。

そして現在の日本は貧乏人ややや貧乏人にとり、比較的生き易い世の中になっている。
世帯年収が500万円から1000万円くらいだとそういった恩恵を受けられない。なまじ収入があり社会的地位が高いと生活のコストも高いだろう。いい家に住まなきゃならんし、子供の習い事や教育費は満額かかる。おまけに黒いアルファードに乗らなきゃならない。収入が多くても出ていく分も多い。それはそれで生きにくかろう。

もしかすると高収入世帯からの妬み嫉みの類を恐れて、支援新制度を積極的に広報しないのかと考えている。そしてマスコミ関係者こそ、その恩恵を受けられない「ハイクラス層」なのである。