射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

東京では何者でもなく存在できる

東京に住むようになって20年ほどになる。
東京は居心地が良いと思う。ご近所づきあいもあまりないし周りに友達もいない。孤独といえば孤独である。そしてとても楽である。「自由」だと思う。

娘も大きくなってきて手がかからなくなってきた。娘が小中学生だったころは、しょっちゅう学校に行っていたしPTAに関わったりした。近所で買い物をしているとよく同級生の母親に挨拶されることも多かったし、よく立ち話などもしていた。

今ではそういうこともなくなってきたので、散歩をしていても買い物をしていても気を使うこともない。自分が何者であるか説明しなくていいし、演じなければならない役割も無い

ETV特集「私の欠片と、東京の断片」を見ながらつらつらと考える。
番組の冒頭で社会学者の岸政彦がこんなことを言っていた。

「都市のほうが自由ですよね。雑踏の中に紛れていると自分はいてもいなくてもいい。交換可能で、かけがえのない自分よりも、今ここで死んでも誰も気づかない。都会の真ん中のほうが自由を感じるし安心する」

全くその通りだと思う。

もし実家に帰ったとしたら、生まれ育った土地でもあり、僕が小さかった頃を知る古いご近所さんや友達が回りに沢山いるわけである。
「あー、あそこのうちの息子さんの×××ちゃん」などと言われまくるのだ。そういう人からみた現在の僕はおそらく、その人達が考えている僕ではない。そういうものは鬱陶しいだろうと思う。その中で何者かを演じなければならないからだ。これは無意識にそうなるだろう。

そして東京に出ることなく実家近辺で暮らしていたらどうなっていただろう。現在そこで暮らす同世代の人達は、東京に行かなかった自分かもしれないのだ。

番組内で面白い語りがあった。

「東京を変えたのは地方出身者だよ。俺が憧れた都会ってこうなはずというのがあって、そして彼らが街づくりをしたきたんだ」

東京生まれの人は少なく、大半は東京外から来ているのである。人との関わり方や距離感も地方出身者が作ってきたのかもしれない。

背負うべき土地もなく、何者かを演じる必要もなく、自由に気楽にやっていける東京が好きである。
あ、忘れてた。娘が1人立ちするまでは良い父親を演じなければならなかった。