射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

五輪反対派はいずこに?世論は疑え

東京五輪開催前は反対の声であふれていた。
五輪関係者はケチョンケチョンにSNSでディスられていたし、IOCのバッハ会長は「ぼったくり男爵」など中傷されていた。
批判は選手にもおよび、開催への支持を訴えたならば、「スポーツなんて不要不急だ」と叩かれ、自由に物も言えないのかと空恐ろしさを感じたことを思い出す。

医療関係者からは開催によって新型コロナのパンデミックを危惧する声で溢れ、「命の軽視だ、人殺しに等しい!」とまで言う人もいた。

結果、東京五輪は開催によるパンデミックは起きず、大きな問題もなく終了した。無観客であったが成功したといえるのではないか。

その後の競技場の維持の問題や莫大な経費が適正に使われたのかなどの問題は、大体どこの国が開催しても付きまとうものなので誘致した以上しかたがない。

まもなく北京五輪が開催されるわけだが日本国内からメディアから反対論は出てこない。「政治的ボイコット」は話題になるが、開催自体に反対する識者はいない。

東京五輪に反対していた文化人、評論家、マスコミは沈黙を続ける。
世界的にコロナ禍が続いている中で中止や延期と言わないのは、あまりにもあまりにも矛盾していると言える。森氏の女性蔑視発言にあれだけ反発した人々が中国の人権問題に目を塞いでるのもそうである。半年前の己を忘れたのか。

そして「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言った感じで反対の論調に乗った人は今何を思っているのだろう。メディアに同調して東京五輪に反対したとしてもすぐ北京五輪が行わる。そこで日本メディアは北京五輪に反対するわけがなく、半年後には矛盾に突き当たることは明白ではなかったか。

その時々の世論は無責任であり、間違っていて、愚かなものである。そんなに簡単に世論に乗っかってはならないのだ。恥をかく。

マスコミが一方を向いて騒いだら「まず疑え」と娘には教えている。