射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

文化は軽チャーに戻っちゃうぞ

日本国民は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」らしい。

「健康」という部分に関しては、あまり長生きしたくなく70歳くらいでポックリ逝きたいので、プチ不健康ぐらいがジャストだろうと考え日々鍛錬する身としては、余計なお世話であるとしかいえない。

さて「文化的」とは何だろう。

「文化」はいくつかの定義があるが、総じていうと「人間が社会の構成員として獲得する多数の振る舞いの全体のことである」らしい。
それ以外にも「生活様式」と言う意味もある。
さらに人間と動物との違いを説明するための概念でもあるし、単に「教養」と位置付けることも出来る。

なんだか「文化的」とはに曖昧でよく分からない空気みたいなものだなあと思う。

金持ちが高級な車に乗ったり絵画を所有して悦に入ることも、庶民がコンビ二弁当に舌鼓を打つのもどちらも同等に「文化」であるといってよいのだろう。

ところがやたら「文化」と叫ぶ人は選民的である。特に「文化芸術」なんて言ったりする人達は上から目線で偉そうである。己が考える文化というものを愚かな庶民に啓蒙する気まんまんである。これは景気が悪くなると予算が減るので危機感があるからだろう。儲かっているときは静かだからだ。

「文化人」と呼ばれる人達も笑止である。「文化」は「文明」と言う意味もあるので、文化人は「文明人」と言い換えてもいい。なんか間抜けでで面白い。

かつてフジテレビのキャッチフレーズとして「軽チャー」が使われた。
軽いノリで軽薄な感じを表すことであった。バブル景気に煽られてテレビの黄金期を築いたといえる。現在では時代の仇花になってしまった。

「軽チャー」英語のカルチャー(文化)を皮肉ったものだろう。これは以外に的を射ていて、「文化」には「軽便な」「お手軽な」という意味もあるのだ。文化包丁とか、文化住宅とかそういう意味である。

文化を守れと騒ぐ人達よ。国民はそれぞれの立場で地に足を付け、それぞれの文化を守り楽しんでいるのだよ。文化と主語を大きくしないで、それぞれの名称で具体的に言いたまえ。文化を連呼することに慣れてしまうと、意味が軽くなり、「軽チャー」に戻っちゃうよ。

 

さて本題に入るとするか。
訳のわからぬことを書いているが、実はただの話の枕だ。

いつまで経ってもPVの上がらない(泣)このブログだってなあ、文化なんだぞ!
愚かな民には分からぬか!

すいません。つい本音が。いっそのこと炎上してもいいかなと思ってきたわけです。
しかしですね、これで炎上するくらいならそもそも成功しているブログなんですよね。